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エルサルバドル/エルサルバドル内戦

1980年代、軍事独裁政権と左派ゲリラの内戦が激化。アメリカのレーガン政権が介入した。

 エルサルバドルは、中米のラテンアメリカ諸国の一つで、グアテマラとホンジュラスの南に位置し、太平洋に面した小国。1524年にスペインの征服が始まる。1811年にはインディオの大反乱が起き、恐れた白人支配層が本国に依存しないで権力を維持することを目指すようになる。1821年にメキシコの一部として独立し、23年にメキシコから分離して中央アメリカ連邦を形成、さらに56年に連邦が解体して単独のエルサルバドル共和国となった。
 スペイン系の白人であるクリオーリョが、先住民インディオや混血のメスティーソなどを支配する、典型的な白人支配国家だった。中でも「14家族」といわれる名門一族がコーヒーや綿花の大農園や大企業を独占し、国の富と権力を握っていた。特に1858年から本格的に始まったコーヒー栽培は、インディオの土地を囲い込んで大農園を作っていったのでインディオの貧困化がすすみ、一方の大農園主はさらに富を蓄えていった。

コーヒー農園の農民反乱と独裁の開始

 1929年、世界恐慌の影響でコーヒーが暴落、エルサルバドル経済は打撃を受け、翌年、共産党が設立された。指導者のファラブンド=マルティは農民を組織していった。1932年、コーヒー農園の仕事がなくなった農民が西部一帯で蜂起すると、軍隊が弾圧にあたり、3万人が殺害された。軍を指揮したエルナンデス=マルティネスが大統領になり、それ以後、50年にわたる軍政が続くこととなる。

サッカー戦争

 1969年7月、エルサルバドルと隣国のホンジュラスは、サッカーの試合がきっかけで、軍隊同士が衝突するサッカー戦争を引き起こした。サッカーの勝敗で興奮した両国の観衆が衝突したことがきっかけであったが、それだけで戦争になったわけではない。それ以前からこの両国間には国境問題などで緊張感が高まっていた。その背景には、長引く軍事独裁に嫌気のさしたエルサルバドルの人々がホンジュラスに密出国し、それに手を焼いたホンジュラス側が不法移民の権利を剥奪する挙に出た。やむなく自国に戻ったエルサルバドル人が、ホンジュラスで虐待されたことを盛んに宣伝したので、反発が強まっていた。そこでエルサルバドル側が攻勢をかけ、ホンジュラスは防戦に回る戦いとなった。戦争は米州機構(OAS)が調停に乗り出し、ようやく80年に和平が成立した。この戦争は両国経済を悪化させただけで終わったが、依然として国境問題は解決していない。

左派ゲリラの蜂起

 この間、1972年には国民抵抗運動のドゥアルテが大統領選挙で勝利したが、軍を後ろ盾にしたモリナ大佐が票を操作して権力を握る。77年には同じく軍のロメロ将軍が不正投票で大統領となり、抗議デモに発砲し2百人が殺される。70年代にはこのような不正に対して、社会正義と公正な分配を求めて左派ゲリラの活動が活発になり、主な三つのゲリラ組織が合体して、1980年にファラブンド=マルティ民族解放戦線(FMLN)という統一組織ができた。ファラブンド=マルティとは1932年に農民の武装蜂起を指導した人物の名である。

レーガン政権の介入

 1980年に始まった左派ゲリラの蜂起は山岳地帯を中心にたちまち拡大し、「九時から五時までの軍隊」と呼ばれてサラリーマン化していた政府軍は戦意に乏しく、追い詰められていった。その状況を危惧したアメリカ大統領レーガンは、政府軍に軍事顧問団を送り、軍事・経済支援を開始した。アメリカ軍はベトナム戦争の手法を再現し、ゲリラと農民を分離するために鉄条網で「戦略村」を設けていった。それに対して左派ゲリラは、ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線からの支援を受けて戦い、内戦は泥沼化していった。
 その間、米軍とCIAと結んだ極右勢力の国家警備隊トップのダビッソンが勢力を拡大し「死の部隊」と言われたテロ組織を結成、労働組合や左派指導者、残虐行為を非難したカトリックの大司教らを殺害していった。当時は首都サンサルバドルには殺された反政府側の死体が町に放置され、悲惨な状態であった。国際的な非難を浴びたダビッソンは合法政党として民族主義協和同盟(ARENA)を設立した。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.141-144>

内戦の終結

 1992年、国際連合の仲介による和平がようやく実現し、国連平和維持活動(PKO)として国際連合エルサルバドル監視団が活動を開始した。1994年には大統領選挙が行われ、親米派のARENA所属候補が当選、FMLNは第二党となった。その後しばらく、新自由主義政策が採られ、通貨も米ドルに切り替えられるなど、親米的な政権が続いたが、2009年の大統領選挙ではFMLNのフネスが当選、エルサルバドルでも左派政権が誕生した。

映画『イノセント・ボイス』

 日本でも2006年に公開された映画『イノセント・ボイス』は、エルサルバドル内戦での少年兵士を真っ正面から取り上げ、その深刻なテーマと真実味のある戦闘シーンで話題となった。中南米の豊かな自然に恵まれたエルサルバドルの小さな村は、政府軍とゲリラ(FMLN)の激しい銃撃戦に巻き込まれる。政府軍兵士は、村の男の子が12歳になると強制的に兵士にするために狩りたてていく。主人公はもうすぐ12歳になろうとしている男の子。けなげに母を助けて生きているが、この子の目の前で、若い女性が兵士に連れ去られ、理不尽な暴力に立ち向かう神父が殴打される・・・、やがて彼も兵士にならなければならない。子どの目にはかっこうよく見えるが、政府軍にゲリラ掃討作戦を伝授しているベトナム帰りのアメリカ兵。逃げ惑う大人たち・・・。ちょっとした恋心。肉親、地域を切り裂く内戦の実態が巧みに描かれている。メキシコ人の監督マンドーキは、現在も世界で30万以上の子どもが「兵士」として戦場へ送られていることを告発している。
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書籍案内

伊藤千尋
『反米大陸』
2007 集英社新書
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ルイス・マンドーキ監督
『イノセント・ボイス』 2004