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グレナダ侵攻

1983年、カリブ海の小国グレナダの政変に対しアメリカのレーガン政権が軍事介入、左派政権を倒した。

 グレナダは、カリブ海の西インド諸島の南東に弧状に延びる小アンティル諸島の最南端にある、小さな島。1498年にコロンブスが到達して以来、スペイン人・フランス人が入植、現地のインディオはほぼ絶滅し、労働力として導入されたアフリカ系黒人が現在の住民の大部分を占める。1762年からイギリスが植民地化し、第二次世界大戦後の1967年に独立を宣言した。1974年からはイギリス連邦の一員となったので、元首はイギリス国王である。

人民革命政府の登場

 グレナダでは自らを「救世主」と呼び、国連で空飛ぶ円盤の調査を呼びかけるなど奇抜な振る舞いをするエリック=ゲーリーが1974年から独裁者としてふるまい、批判するものを投獄する恐怖政治を布いていた。1979年、アメリカの黒人運動指導者マルコム=Xの影響を受けたモーリス=ビショップが黒人の権利を掲げてゼネストを展開、独裁政権を倒して人民革命政府を樹立した。ビショップ政権はキューバとの関係を深めたため、アメリカは危険視し、政権転覆の機会を狙った。

アメリカ軍のグレナダ侵攻

 1983年、ビショップ政権内のソ連派オースチン軍司令官がクーデターを起こし、ビショップ首相を殺害するという事態となると、アメリカのレーガン大統領は、グレナダに存在する「アメリカ市民の安全を確保する」ことを口実に、7000人の海兵隊をグラナダに侵攻させた。その狙いは、グラナダに親ソ政権が登場することを阻止し、親米政権を作ることであったが、さすがに単独では国際的非難がおきるので、多のカリブ海諸国を巻き込む多国籍軍という形を取った。しかしアメリカ以外の兵士は全部で300人に過ぎす、実態はアメリカ軍単独の侵攻であった。しかも、その2年前にはアメリカ軍はグラナダ侵攻を想定して大規模な上陸作戦演習をプエルトリコで行っていた。
 アメリカ軍はグレナダを空爆した上で上陸を演習通りに実行、グレナダ軍はキューバ兵も含めて抵抗したが、圧倒的に兵力、武器で劣り、瞬く間に制圧された。小さな島を占領したアメリカ軍はオースチン軍司令官を逮捕し、裁判にかけて死刑を宣告した。これによって人民革命政府は倒れ、親米政権が樹立された。<伊藤千尋『反米大陸』2007 集英社新書 p.150-154>
 → アメリカの外交政策
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書籍案内

伊藤千尋
『反米大陸』
2007 集英社新書

著者は朝日新聞特派員として中南米に駐在。グレナダ侵攻の1年後に現地入りしている。