印刷 | 通常画面に戻る |

スーダン内戦

エジプト南部のスーダンで1950年代以降、2次にわたって展開された民族対立、宗教対立から起こった内戦。

 現在のアフリカ諸国で最大の領土を有するスーダンは、1956年にイギリス殖民地支配(正式にはイギリスとエジプトの共同統治)からの独立しスーダン共和国となった。北部には首都ハルツームを中心にイスラーム教徒が多数を占めているが、南部の黒人地域では非イスラーム教徒の民族宗教(アニミズム)やキリスト教が根強く、2次にわたる内戦が勃発した。長い対立の結果、2011年7月、南部が南スーダン共和国として独立し、一応の決着がついたが、石油資源の問題、国境の未確定など不安定要素が続いている。

第2次スーダン内戦

 1955~1972年の第1次スーダン内戦に続いて、1983年~2005年まで第2次内戦があった。1983年に北部を基盤とするスーダン政府が、イスラーム化政策を強めたことに反発した南部勢力が反政府組織スーダン人民解放軍(SPLA)を結成し自治権をめぐって武力闘争を開始した。長期化した内戦はいったん鎮静化したかに見えたが、1989年にイスラーム原理主義を掲げる民族イスラーム戦線(NIF)の支持を受けたバシル軍事政権がクーデターで成立し、SPLAとの対決姿勢を強め、再び内戦は激化した。90年代にはスーダンの石油資源に関心を持つアメリカが仲介に動き、カーター元大統領などがスーダンを訪問、次第に和平機運となり、2002年に停戦し、2004年5月に政府とSPLAの間で包括的和平が実現し、停戦監視のため1万人規模の国連平和維持活動(PKO)が展開されることとなった。この長期にわたる内戦で、約200万人が死亡し、400万人が家を失ったと言われる。2011年に南部独立の是非を問う住民投票が行われ、独立支持が多数を占め、2011年7月に南スーダン共和国として独立した。

ダルフール紛争への飛び火

 ところがスーダン内戦とは別に、スーダン西部の非アラブ系順民地域のダルフール地方で、2003年に政府が支援するアラブ系民兵が黒人住民を虐殺するというダルフール紛争が発生し、現在も深刻な人権問題となっている。
印 刷
印刷画面へ