クロマニヨン人
現生人類(新人)に属する化石人類。フランスのクロマニヨンで発見された。約16万年前にユーラシアに拡散し、後期旧石器文化を発展させ、洞穴絵画を各地に残した。
われわれ現生人類の同類
クロマニヨン GoogleMap
1868年、フランスのドルトーニュ県にあるクロマニヨンの岩陰から、鉄道工事中の工夫が人骨5体を発見した。その後、ヨーロッパ各地の洪積世地層から同様の化石人骨が発見され、現生人類に属する化石人類として「新人(ホモ=サピエンス)」と言われるようになった。
旧石器時代の後期旧石器文化にあたる石刃技法という高度な石器製造技術を持ち、投げ槍・弓矢・骨角器による漁労用具などを発明して
注意 ネアンデルタール人との関係 クロマニヨン人はホモ=サピエンス(新人)に属している。化石人類として彼らに先行しているネアンデルタール人とは生物学的な繋がりはない。彼らがアフリカからやって来たとき、ユーラシアにはすでにネアンデルタール人が生活しており、両者は併存していた。両者の関係は共存だったか、競争相手であったか、まだよく判っていない。いずれにせよ、ネアンデルタール人が絶滅するのは4~3万年前のことなので、かなり長い間、併存していたことになる。両者が混血して現代人となったとも考えられたが、DNAの分析では現代人にはネアンデルタール人の血は流れていないという。
クロマニヨン人の狩猟
クロマニヨン人は狩猟技術を高度に発達させていた。旧石器時代の文化の中でも、後期旧石器文化といわれる高度な石器製造技術を有していた。ネアンデルタール人が尖頭器のついた槍を使うだけであったが、クロマニヨン人は「投げ槍」を使っていた。1万8000年前になると、投槍機(角を加工してフック状にし槍を遠くに飛ばす道具)を発明している。1万5000年前ごろには弓矢を発明し、狩猟は一段と進歩した。マンモスやバイソンなどが絶滅したのは人類の狩猟技術の進歩の結果という説もある。クロマニヨン人の洞穴絵画
旧石器時代のクロマニヨン人(新人)が活動していた範囲で広く洞穴絵画が残されている。代表的なものは、スペインのアルタミラ洞窟、フランスのラスコー洞窟などである。最近では1994年に発見された、南フランスのアルデーシュ川の渓谷の洞窟が96年にマスコミに取り上げられ有名になった。発見者の名をとってショーベ洞窟と呼ばれるようになったこの洞窟は炭素14年代の測定の結果、3万7千年前という古さで注目されている。クロマニヨン人の芸術
明確な洞穴絵画が現れるのはクロマニヨン人の時代になってからであり、ネアンデルタール人には今のところ見つかっていない。現生人類の「芸術」活動の始まりがクロマニヨン人の洞穴絵画であると考えられている。描かれているのは主にウマやシカ、バイソン(野牛)などの動物で狩猟技術の向上を示すと共に何らかの儀礼的、社会的な意味合いがあったものと考えられている。色には赤、黄色、茶がオーカー(ベンガラ)の濃淡で表され、炭や二酸化マンガンで黒、白陶土で白が彩色されて、複雑な技法が用いられている。なお、クロマニヨン人の残した美術では洞穴絵画だけでない、「ポータブル・アート」とも言われている、象牙やトナカイの角などを材料とした様々な彫刻や装身具が多数出土しており、「芸術の爆発」とも言えるほど表現が豊かになった。<海部陽介『人類がたどってきた道』2005 NHKブックス p.122-135>
その他の新人化石
周口店上洞人 現生人類(新人)の化石人骨の例で中国の周口店遺跡上部から出土した。北京原人が発掘された周口店遺跡のある丘陵山頂部の洞窟から3個の頭蓋骨が出土した(1933年)。これらは約1万8千年から1万年前の新人(ホモ=サピエンス)段階の化石人骨と考えられている。山頂洞人とも言われている。彼らは北京原人との関係はわからない(断絶しているという説と、継続して進化したものとの両説がある)が、現在の漢民族の先祖であり、黄河流域で新石器文化を生み出し、それが黄河文明に発展したもと考えられている。グリマルディ人 北イタリアで発見された新人に属する化石人類。19世紀末にフランス国境に近いイタリアで発見され、現在のネグロイドの特徴を持っていたことから、その祖先と考えられていたが、現在ではクロマニヨン人よりも新しい、ほぼ2万8千年前の新人、つまり現生人類に属するとされている。