ペリシテ人
前12世紀頃、海の民の一派と考えられる人々で、パレスチナに定住した。
前12世紀頃、エーゲ海方面から地中海東海岸に進出した「海の民」の一派と考えられている。ペリシテ人が定着した地方という意味で、カナーンの地をパレスチナと言うようになった。彼らはガザなどの5つの都市国家(ペンタポリス)を拠点に北部のヘブライ人(イスラエル人)居住区に進出し、鉄器を使用して一時強大となった。「ペリシテ人は職業軍人の重装歩兵が編成する強力な武器を持ち、鉄の武器と戦車軍団、および弓兵をその軍事力の基盤としていた。(旧約聖書の)サムエル記によれば、ペリシテ人は鉄の精錬を独占してさえいたらしい。彼らは各地の拠点に守備隊を置き、征服地の実効的な継続的支配を図った。」<山我哲雄『聖書時代史 旧約編』2003 p.71>
問(1) 鉄製武器を最初に使用したことで知られるヒッタイトの滅亡は、製鉄技術が各地に広まる契機となった。ヒッタイトを滅ぼした「海の民」の一派で、製鉄技術をパレスチナに伝えた民族の名称(a)と、この民族を打ち破って、この地を中心に王国を発展させた人物の名(b)を記しなさい。
ダヴィデ王、ペリシテ人を破る
それに対してセム語系のヘブライ人はいくつかの部族に分かれて戦い、不利な戦いを強いられていたが、前11世紀にはダヴィデ王が各部族を統一してヘブライ王国を建国し、ダヴィデ王はペリシテ人に反撃し、それを打ち破った。旧約聖書の「サムエル記」には、ダヴィデがペリシテ人の巨人ゴリアテを投げ石で倒した物語がある。パレスティナの語源
ペリシテ人はセム語族ではなく、前12世紀初めにエーゲ海方面から海を渡ってきた「海の民」の一集団であった。エジプト第20王朝(前1186/85~前1070/69年頃)のラメセス3世葬祭殿の浮彫にその姿が刻まれている。前1180年頃のラメセス3世と「海の民」との海戦でエジプトが勝利、「海の民」のうちペルシェト、チェケルは遊牧民の侵略に対する備えとしてパレスティナ南部の海岸地方に殖民された。パレスティナという地名はこのペルシュト、つまりフィリスティア人、『旧約聖書』のペリシテ人に由来する。<小林登志子『古代オリエント史』2022 中公新書 p.107>出題
東京大学 2005年 第3問問(1) 鉄製武器を最初に使用したことで知られるヒッタイトの滅亡は、製鉄技術が各地に広まる契機となった。ヒッタイトを滅ぼした「海の民」の一派で、製鉄技術をパレスチナに伝えた民族の名称(a)と、この民族を打ち破って、この地を中心に王国を発展させた人物の名(b)を記しなさい。
解答
(a)ペリシテ人 (b)ダヴィデ王