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ヘブライ王国(イスラエル王国)

前1000年頃、ヘブライ人(ユダヤ人)がパレスチナに建国した国家。前10世紀、ダヴィデ王・ソロモン王のころを最盛期に、前922年ごろ、北のイスラエル王国、南のユダ王国に分裂した。唯一神ヤハウェを信仰した。

 紀元前11世紀の終わり頃、シリア・パレスチナで部族生活を送っていたヘブライ人が統一され、パレスチナの地に王国を建国した。イスラエル王国とも言った。初代の王はサウルで、多くの部族に分かれていたヘブライ人(イスラエル人)を初めて統一したが、ペリシテ人との戦いで戦死した。

ダヴィデ王・ソロモン王

 次に南部のユダ族の出身であったダヴィデが果敢な戦いでペリシテ人を倒し、前1003年ごろ、2代目の国王となった。ダヴィデ王はペリシテ人に続いてカナーン人など周辺諸民族も従え、パレスチナ全域を支配する統一帝国を建設した。次の3代目のソロモン王の時までの前10世紀中頃が最盛期で、都イェルサレムにはヤハウェ神殿が建設され、「ソロモンの栄華」と称された。

ヘブライ王国の分裂

 しかし、ソロモン王の積極的な神殿などの建設は民衆への負担を増大させたため、次第に反発が強まり、その死後の前922年ごろに、北部の部族が南部のユダ族のダヴィデ-ソロモン家の支配に反発して分離独立し、イスラエル王国が成立した。それによって南はユダ王国として分立することとなった。
注意 ヘブライ人は自らは宗教的・社会的には自らをイスラエル人と称していた。ヘブライというのは異民族が彼らを指していった呼び名であるので、彼らの国家名は最初から「イスラエル王国」とするのが正しいとも思われる。山川出版社世界史用語集でも「ヘブライ王国」という項目は立てておらず、分裂前から「イスラエル王国」としている。ただし、一般的には前922年ごろの分裂以前をヘブライ王国とし、分裂によって北に「イスラエル王国」、南に「ユダ王国」となったと説明している概説書も多い。ここでも混乱を避けて、分裂前を「ヘブライ王国」、その後を「イスラエル王国」と分けることとした。いずれにしろ近代的な意味の国家名ではないのでどちらが正しいとは言い切れない。なお、ヘブライ王国(イスラエル王国)の分裂年代は、山川用語集などで、「ソロモン王の死の前922年頃」となっており、ここでもその年としたが、ソロモン王の生没年には諸説あり、分裂年も前926年とするものも多い。 → ユダヤ人
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