アラム人
前1200年頃、西アジアの内陸貿易で活動したセム語族に属する民族。アラム語はアッシリア帝国・ペルシア帝国でもアッカド語とともに公用語とされた。彼らのアラム文字は中央アジアに伝えられた。
フェニキア人、ヘブライ人と並ぶ、セム語族の民族で、前1200年頃から西アジアのシリアのあたりに定住し、内陸部の陸上交易に活躍した。彼らの使用したアラム語 と、彼らが造りだしたアラム文字は、ユーラシア大陸の内部まで交易活動とともに伝えられ、広がっていく。後にイスラーム帝国のウマイヤ朝の都となるダマスクスはアラム人が建設した都市とされる。
彼らは統一国家を作ることなく、都市での交易活動を行っていたが、前8世紀にアッシリアのサルゴン2世に征服され、アッシリア帝国に含まれることとなった。
その後も西アジアでアラム語がオリエントの公用語として広く用いられたということは、イエスもアラム語を用いていたこととなり、今伝えられている新約聖書にもアラム語の語彙がかなり入っている。
彼らは統一国家を作ることなく、都市での交易活動を行っていたが、前8世紀にアッシリアのサルゴン2世に征服され、アッシリア帝国に含まれることとなった。
アラム語のひろがり
しかし、アッシリア帝国ではアラム人の用いていたアラム語と、それを表記するアルファベットの一種であるアラム文字が、楔形文字で書かれるアッカド語とともに用いられ、後世に大きな影響を及ぼした。楔形文字とアラム文字の併用という状態は、アケメネス朝ペルシア帝国でも続いた。その後も西アジアでアラム語がオリエントの公用語として広く用いられたということは、イエスもアラム語を用いていたこととなり、今伝えられている新約聖書にもアラム語の語彙がかなり入っている。