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無産市民(ギリシア)

古代ギリシアのポリス社会での財産を持たない下層市民。特にアテネでは三段櫂船の漕手として参戦し活躍し民主政の徹底をもたらした。

 市民権を持つが、財産が少ない、下層市民。ギリシアのポリスにおいては、アテネに見られるように、ポリスの市民の中核になる市民は、武器を自弁して重装歩兵となることのできる富裕な市民が主力になっていた。しかし、ペルシア戦争の際のサラミスの海戦などで三段櫂船の漕ぎ手として戦争に参加した無産市民(下層市民)は、その勝利によって民会での発言権を強めるようになった。
 奴隷ではない自由市民ではあるが、所有地がすくないなど経済力にめぐまれずに下層にあまんじていた無産市民であったが、その後も、アテネは海軍力をその戦闘力の中心とするようになったので、三段櫂船の漕手として次第にアテネ民主政の中で地歩を占めるようになった。それによって前5世紀後半のアテネの民主政は、その基盤を拡げ、全盛期となった。しかし、三段櫂船の漕手も徐々に傭兵に取って代わられるようになっていった。 → ローマの無産市民

Episode 座布団一枚持って戦争に参加

(引用)17歳から59歳まで、足腰の立つアテネ男性はみな兵役についている。しかし、全員が武具を用意できるわけではないから、用意できる男性は得々としてそれを見せびらかす。武具は市民団中上層2階級、すなわちヒッペイス(貴族)とゼウギタイ(一定以上の穀物を収穫できる層)に属するしるしなのだ。武具を用意できない層をテテスと呼ぶ。テテスのなかには槍と盾だけは持っていて、ペルタスタイと呼ばれる軽装部隊に属して戦う者もいる。しかしアテネの民主政には、兵役につく気のある者はみな参加する権利があるし、武器をなにひとつ用意できない者は出征するさいには座布団を1枚持っていく。三段櫂船の漕手座に敷くためだ。軍事大国としてのアテネの基礎は海軍力にあり、漕手は奴隷ではなく自由民だから、かれらは自分の役割に誇りを持っている。漕手やその役割を見下すようなことをすれば、1日に12時間も櫂を漕ぐ者のこぶしはばかにできないとすぐに思い知らされることになる。<F.マティザック/安原和見訳『古代アテネ旅行ガイド』2019 ちくま学芸文庫 p.15-187>