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無産市民/プロレタリア

古代ローマで平民から没落して財産を失った下層民。前3世紀以降、ローマの海外領土拡大に伴って増大し、共和政から帝政への移行をもたらした。

 土地などの財産を持たない貧困層。古代のローマ共和政では都市国家から地中海全域に領域を拡大する戦争が続き、その結果、大土地所有制ラティフンディウム奴隷制が広がって貧富の格差が拡大し、市民層の中に土地を無くして没落する人々が現れてきた。図式化すれば、均質であった市民階級が、前2世紀前半から、富裕な新貴族騎士階級が生まれ、それ以外の中小市民層とに階層分化し、さらに土地を失った市民が無産市民となっていった、とまとめることが出来る。 → ギリシアの無産市民 

ローマ史のプロレタリア

プロレタリアの意味 ローマではそのような無産市民をプロレタリアと言った。もともと、民会の中で、騎士や重装歩兵などの武装を出来ない最下層の市民を、子ども(プローレス)しか持たない人々、という意味でプロレタリーと言っていたことによる。つまり「子どもしか財産のない人」という意味であった(子どもさえいない人は何と言われたのか?それはわからない)。
パンと見世物 無産市民となった人々の多くは保護を求めてローマに殺到し、都市の下層民となっていった。彼らは無産者であっても「市民」であったので、投票権などの諸権利は認められていた。そのため、政府も彼らの「パンと見せ物」という要求には答えざるを得なかった。それを実現し、食糧と娯楽を提供した有力者を保護者として支持するようになる。
兵制改革 ローマが「内乱の1世紀」といわれるようになった時期には、マリウス兵制改革によって無産市民には兵士となる道が開け、彼らの一部は有力者の私兵となっていった。ローマ帝国となっても、基本的にはローマの兵士は皇帝の私兵という性格が強かった。

近代以降のプロレタリア

 この言葉は近代になってはなばなしく復活する。つまり資本主義社会になって生み出された、囲い込みなどによって土地を無くし、労働力を売るしか無くなった賃金労働者をプロレタリアートと言うようになったのである。資本家階級を「ブルジョア」、労働者階級を「プロレタリアート」と言い、階級闘争が説明する用語とされ、マルクスは『共産党宣言』で「万国の労働者、団結せよ!」と呼びかけた。ロシア革命ではレーニンはロシア十一月革命をプロレタリア革命と位置づけ、プロレタリア独裁を具現化した。毛沢東は権力を維持するために、プロレタリア文化大革命を提起し、中国は激しい混乱に陥った。
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