アイスキュロス
古代ギリシアの三大悲劇作者の一人。前5世紀前半に活躍、代表作は『縛られたプロメテウス』など。
アテネの悲劇作家。ギリシア演劇の全盛期にあたり、ソフォクレス・エウリピデスとともに三大悲劇作者の一人とされる。若い頃は重装歩兵としてマラトンの戦いに参加した。前484年、競演(アゴン)の悲劇部門で第1位となったが、前468年にはソフォクレスに敗れている。90編以上の作品を書いたらしいが、現存するのは7編だけ。代表作は『縛られたプロメテウス』、『アガメムノン』などのオレスティア3部作。ギリシア神話に題材をとり、親族殺しという憎悪の連鎖に悩む人々を描いている。彼が活躍したのはアテネのペリクレスの時代であった。
オレスティア三部作
アイスキュロス(前525~456年)は、主として正義の問題に思索を集中した悲劇作者であった。その点がよく現れているのがオレスティア三部作である。第1作『アガメムノン』では、トロイア戦争の英雄アガメムノンは、実は凄惨な親族殺しの家系の当主であり、情夫と通じた妻のクリュタイムネストラに殺される。第2作の『供養する女たち』では夫を殺して王位を簒奪したクリュタイムネストラを息子のオレステスが殺害し、父の復讐を果たす。しかし、母殺しの罪を負うこととなり、罪の重さに苦悩する。第3作『恵みの女神たち』で、オレステスはアテネのアクロポリスの女神アテネの神殿に救いを求めて逃げこむ。オレステスを裁く民衆裁判が開かれ陪審員の評決が有罪か無罪か同数になると、議長のアテネが無罪に票を投じ、オレステスは救われる。このように復讐の連鎖を断ったのアクロポリスにおける民衆裁判であったところに、作者アイスキュロスのアテネの民主政治への信頼が表明されているといってよいだろう。<岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』2003 岩波ジュニア新書 p.33-36>Episode アイスキュロス、不敬罪に問われる
アイスキュロスは『弓ひく女』、『巫女』、『石を転がすシシュポス』などの作品でエレウシスの秘儀に触れたため不敬罪に問われたたしい。こんな話が伝わっている。(引用)悲劇詩人アイスキュロスはある作品がもとで不敬罪に問われた。アテナイ人たちが彼を石打ちの刑に処せんものと待ち構えている時、弟のアメイニアスがさっとマントを捲(まく)り上げ、手先のない片腕を見せつけた。アメイニアスはサラミスの海戦で奮戦中に片手を失ったが、アテナイ人では初めて武勲賞に輝いた男である。陪審員たちは彼の痛ましい姿を見ると、その武功を思いおこしてアイスキュロスを放免した。<アイリアノス/松平千秋ら訳『ギリシア奇談集』岩波文庫 p.38>