印刷 | 通常画面に戻る |

ブルートゥス

共和派としてカエサルの独裁を倒そうとし、前44年に暗殺に加わった人物。

 前44年3月15日元老院の会議場で仲間のカッシウスらとともにカエサルを襲撃し殺害した。彼はローマ共和政の熱心な支持者であった。初めはカエサルを支持していたが、カエサルの独裁が強まると、共和政に反するものと考え、カエサル殺害を実行した。しかしブルートゥスは元老院の支持を得られず、カッシウスとともにローマを逃れマケドニアに入り、前42年、フィリッピの戦いでオクタウィアヌスアントニウス連合軍に敗れ、自刃する。

Episode 「ブルータスおまえもか!」の真相

 ブルートゥス(ブルータス)は実はカエサルが愛人との間にもうけた実子だという説がある。彼はその義兄カッシウスからカエサルの独裁政治に対する批判(カエサルは王になりたがっている)を吹き込まれ、また実の父であることをうすうす知っており、憎んでもいたので暗殺団に加わったのだという。ブルートゥスの先祖は第一代のコンスルというローマ共和政の名門であったので人望があり、さらに共和主義者として名高い小カトー(前2世紀、共和政の形成期に弁論家として知られた大カトーの孫)の甥であった。また、カエサルも彼が若いころから眼をかけていた。それはブルートゥスの母親セルウィリアを熱愛していたからだといわれ、二人のロマンスは万人承知のことであった。
 ブルートゥスはカエサルの台頭に共和政の危機を感じ取り、反カエサルの論陣を張ったが、カエサルと元老院・ポンペイウス派の内乱が始まると、元老院・ポンペイウスと共にローマを離れギリシアに逃れた。しかし、ポンペイウスがファルサロスの戦いで敗れた時、カエサル軍に捕らえられた。しかし、カエサルはブルートゥスをゆるし、ブルートゥスもまたカエサルのもとで復権し、属州ガリア=キサルピナの統治を任されたりした。さらに前44年には法務官に選出され、執政官の候補とも見なされるようになった。しかし、共和政への思いはますます強くなっていたようで、ある人がカエサルに、ブルートゥスには気をつけるように進言したが、恩義を忘れるような人物ではない、と取り合わなかった。
 しかし、ブルートゥスはやはりカエサル暗殺団に加わり、それは前44年3月15日に実行された。そのとき、暗殺団の中にブルートゥスの姿を見て、カエサルが「ブルートゥス、おまえもか!」と言ったことから、カエサルの実の子だったと言われるようになった。その説に立てば、ブルートゥスの動機は母を裏切った実の父に対する恨み、ということになる。<モンタネッリ/藤村道郎訳『ローマの歴史』中公文庫 p.227>
 しかしこの話は、ブルートゥスは前85年の生まれでそのとき41歳、カエサルは56歳だったから、カエサルが15歳の時の子と言うことになるので、無理がある。どうやらブルートゥスは個人的な恨みでカエサル暗殺に加わったのではなく、やはりローマ共和政の理念に忠実であったため、カエサルの独裁をテロという手段であっても阻止しなければならないという純粋な思いが動機であったというのが正しそうだ。<長谷川博隆『カエサル』1994 講談社学術文庫 p.261-270/プルタルコス『英雄伝』下/スエトニウス『ローマ皇帝伝』上 などによる>  → カエサルの項参照。