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サーフィン文化

前5世紀に、ベトナム中部から南部にかけて発達した青銅器をもつ漁労文化。ベトナム南部のドンソン文化と同時期にあたる。サヒンとも表記。

 ベトナムの中部から南部にかけて存在した青銅器文化。中国南部から北部ベトナムのドンソン文化と同じ紀元前5世紀頃ごろ、ベトナムの中南部の海岸沿いには、青銅器を使用し、農耕に従事しながら、独自の漁撈文化を持つ遺跡が見つかっており、この文化はサーフィン(またはサフィン、サヒン)文化と呼ばれている。同系統の漁猟文化はフィリピンにも見られる。なお、東南アジアの金属器時代の遺跡として、東部タイのバンチェン文化が知られている。バンチェン文化の青銅器はかなりふるい様式を示しているという。
 サーフィン文化は、ベトナム中部海岸のクァンガイの南、サーフィン(サヒン)から発掘された青銅器文化のひとつであるが、甕棺や玦(けつ)状耳輪などの装飾品を特徴とする。玦状耳輪はフィリピン、マレー半島、ボルネオ島などの沿岸各地からも出土しているので注目され、オーストロネシア系の海洋民の文化であった。(もちろん、サーフィンの得意な海洋民族という意味ではありません。)
 1990年、ホイアン周辺のサーフィン文化遺跡から玦状耳輪の製造工程の途中ののものと大型甕棺が大量に出土し、その遺構の上にチャム人の遺構があることから、サーフィン文化がチャンパ王国と関連が深いことが判った。サーフィン文化とインドネシア半島のマラヨ・ポリネシア系との関係はまた判っていないが、幻の王国といわれるチャンパ王国の誕生と発展の秘密が解明されるだろうと期待されている。<小倉貞男『物語ヴェトナムの歴史』1997 中公新書 p.151,157>

ドンソン文化とサーフィン文化

 ベトナムでは前1500年頃から金属器をもつようになり、その基盤の上に、前5世紀頃に中国南部(雲南)から銅鼓をもつ文化を受け入れたベトナム北部にドンソン文化が成立し、同じ頃ベトナム中部にはオーストロネシア系の海洋民族が玦状耳飾りというユニークな装飾品を持つサーフィン文化が生まれた。これらはいずれも首長の権力の象徴だったものもので首長制の社会であったと考えられ、周辺との交易に支えられていた初期国家であった。これらの初期国家が展開していくのが東南アジアの歴史であり、ドンソン文化圏からはベトナムが、サーフィン文化圏からはチャム人の建国したチャンパーへとつながった。<古田元夫『東南アジア史10講』2021 岩波新書 p.7>