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青銅器

前3000年頃、西アジアに使用が始まる最初の金属器。中国では殷周時代に発達した。新石器時代に次いで出現した文化段階で、次の鉄器文化の前段となった。

 金属器の最初である青銅器は、銅鉱石と錫(スズ)を溶かし鋳造する技術で、紀元前3000年頃、西アジアに生まれた。銅および青銅器の技術は、メソポタミアから小アジア、エーゲ文明をへて前1500年頃には現在のヨーロッパの全域に広がった。なお、原料の錫は、イラン高原が主要な産地であり、それをおさえて西アジア全体の統一に成功したのがアッシリアだったといわれている。19世紀以降はスズは缶詰やブリキの原料として用いられるようになり、イギリス植民地下のマレー半島やオランダ領スマトラ島がその主要な産地となった。 → 中国の青銅器文化

地中海の青銅器交易

 1960年代から水中考古学が長足の進歩を遂げ、さまざまな新しい知見がもたらされており、青銅器文明についてもその一つに挙げられている。それまで、考古学者や歴史学者は青銅器時代の地中海貿易は、ミケーネ文明が独占していたと考えていた。シリア、パレスチナ、エジプト一帯でミケーネ文明の土器などが多数発見されているからだ。ところが、1960年にトルコ南西部のケープ・ゲラドニャで発見された紀元前1200年頃の沈没船の調査が進むにつれて、違った事実がわかってきた。この船はフェニキア人などシリア、パレスチナ人のもので、積荷にはギリシアのものはなく、しかも青銅器の破片などを集めていたことが解った。その後も東地中海で同じような沈没船の発見が相次いでおり、現在では青銅器時代の貿易を研究している学者で、ミケーネ文明を中心とした貿易を唱える者はいない。

Episode 古代地中海の青銅器リサイクル船

 この沈没船は船体はほとんど残っていなかったが、船体の中心に置かれた荷物と推定される銅の塊がみつかり、それはキプロス島産であることがわかった。同じく青銅の原料となる錫も少量見つかっている。また多数の青銅製の道具が発見されたがその大多数は壊れたり、小さな破片だったりしていた。これらの破片はいずれも他の破片と合わない、つまり壊れた青銅器として積み込まれていた。そして船尾と思われる付近から、青銅器の製造に使われる道具が見つかった。それらから推定してこの船は、国家間の貿易船ではなく、銅や青銅器のかけらを集めてリサイクルしながら港から港へ航行していたのだろう。その他の遺品には当時の貿易の主役とされていたギリシアの錘(おもり)など見つからず、シリアやパレスチナの生活用具が多く、つまりこの船はギリシアの船ではなく、フェニキア人などシリアやパレスチナの人々の交易船だったと思われる。<ランドール・ササキ『沈没船が教える世界史』2010 メディアファクトリー新書 p.18-23,106>

中国の青銅器

 中国の青銅器は前2000年頃の二里頭文化(王朝に比定されている)に始まり、前1500年ごろからのとそれに続くの時代に発展した。殷周時代の青銅器は、鬼神を祭る道具として使われた。盤にいれた水で手を清め、象や犀などの実際の動物を象った尊という器で酒を捧げ、鼎には犠牲の牛・羊・豚などの肉を入れてスープなどを煮込んだ。それらの青銅器の表面には、羊などの実際の動物の他に饕餮(とうてつ)や龍、鳳など鬼神を守るために生み出された架空の動物の模様を鋳込んだ。周の時代では、さまざまな出来事を甲骨文字をもとにした文字で青銅器に彫り込んでおり、そのような文字が「金文」であり、周の歴史資料となっている。
 なお、1986年に長江上流の四川省成都北方の三星堆で、独自の発展を遂げた青銅器文化の存在が明らかになり、注目されている。
 東南アジアでは、前5世紀に、中国南部からベトナム北部にかけて銅鼓といわれる青銅器が現れる。ベトナム北部ではドンソン文化と言われている。日本の場合は「青銅器時代」は存在せず、稲作と共に鉄器が伝えられた鉄器時代と重なっている。農耕段階となった弥生時代に、銅剣・銅矛・銅戈・銅鐸などの中国・朝鮮から伝わったものが、主として祭器として多様化し、用いられた。

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