印刷 | 通常画面に戻る |

オケオ遺跡

メコン川下流の古代国家、扶南王国の港市であったところで、発掘によって後漢やローマ帝国との関係を示す遺品が出土した重要な遺跡。

 現在のベトナム南部、メコンデルタ地帯でタイランド湾に面した港市の遺跡。紀元後1世紀末ごろから栄えた扶南の港として栄えた港市で、インドと中国を結ぶ中継地としてインド商人が定住していたらしい。遺跡からはインド製の仏像やヒンドゥー教の神像、後漢時代の鏡、ローマ帝国の五賢帝時代の貨幣などが出土している。この遺跡は1940年代にフランス人考古学者マルレが発掘した。

オケオの発掘

扶南王国

扶南王国最盛期(3世紀)
『東南アジアの伝統と発展』p.100の地図と記事をもとに作成。正確な領土を示すものではない。
……は当時の東西海上交易路の推定

1世紀から7世紀ごろ、現在のベトナム南部のメコンデルタからカンボジア一帯、さらにタイランド湾沿いの沿岸からマレー半島の北部まで広範囲な地域を支配した扶南王国の繁栄をしめす重要な遺跡であり、古代の東南アジアのインド・中国両文明との関わりを考える材料を提供しているのがオケオ遺跡である。1942年に遺跡が発見され、44年に発掘調査が行われたが、それはフランス人のルイ・マルレによって行われた。当時日本軍政下にあったベトナムで、旧宗主国であるフランスの学者が発掘にあたったことになる。
 発掘されたのは3km×1.5kmの長方形の都市遺跡で、中央長軸に水路があり、直行する4本の堀で10区画に分けられていた。建造物は煉瓦や石材で造られており、住居や神殿ではないと考えられている。出土品は1世紀から7世紀ごろまでのものを含み、最も注目されたのは国際色の豊かな、精巧な細工の宝石や貨幣、彫刻品などであったが、代表的なものには次のようなものがある。
・ローマ皇帝アントニヌス=ピウス(在位138~161)やマルクス=アウレリウス=アントニヌス(同161~180)時代の金貨。 → ローマの貨幣
・インド製の青銅製仏像、ヒンドゥー教の神像。サンスクリット刻文のある錫小板や指輪。
・中国製の漢代の銅製の虁鳳鏡(きほうきょう)。

出題

2011年 北海道大 第2問 問1 いまから2千年前、ユーラシア大陸の東と西には二つの強大な国家が存在した。漢とローマである。漢とローマ双方の影響が見られる遺跡として、ベトナム南部のメコン川下流域のオケオ遺跡がある。この地で1世紀ごろに成立した国家の名称を答えなさい。

解答