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サンスクリット語

古代インドの宗教や文学で用いられた共通語。標準的文章語とされる。

 インド=ヨーロッパ語族に属する言語で、『ヴェーダ』はその古来のすがたを伝えている。サンスクリットとは「高尚・完全・純粋で神聖な雅語」を意味し、中国では「梵語」といわれる。前4世紀の文法学者パーニニによって完璧な文法書がつくられ、以後インドの標準語として現在に及んでいる。
 18世紀半ば以降、サンスクリット語の研究によってヨーロッパの言語との同一性が認められ「インド=ヨーロッパ語(印欧語)」の発見となった。

俗語がパーリ語

 標準語のサンスクリットに対し、俗語をプラークリットといい、その一つがパーリ語であり、仏典の多くはサンスクリットとパーリ語で書かれている。現在のヒンディー語やベンガル語はサンスクリット語から派生したものである。釈尊と信奉者たちはマガダ語を用いていたと考えられるが、マガダ語のみの文献は現存しない。パーリ語は中部以西の俗語と考えられ、パーリは聖典を意味する。おそらく仏滅直後の最初の結集(教団の集合会議)にはマガダ語が用いられ、それ以後に仏弟子の西方への布教によってパーリ語に移され、また別にサンスクリット語に変えられたとみなされる。<三枝充悳『仏教入門』岩波新書 p.22-23>

グプタ朝で公用語とされる

 4~6世紀インドのグプタ朝では、インドの伝統文化の復興の傾向が強く、宗教でも仏教ジャイナ教と並んでヒンドゥー教が盛んとなった。宮廷でもバラモンの権威が高まったために、バラモンの日常語であったサンスクリット語が用いられるようになり、公用語とされた。その全盛期であるチャンドラグプタ2世の宮廷ではカーリダーサがサンスクリット語で戯曲『シャクンタラー』を著すなど、サンスクリット文学が盛んになった。

Episode サンスクリットは古代インドの共通語

 サンスクリットとは「洗練された(言語)」という意味で、大衆の言語プラークリット(民衆語)と区別された。古代インドでは宗教、文学、哲学にとどまらず、数学、天文学、医学、建築学などの分野の文献もサンスクリット語で書かれている。仏教やジャイナ教でもサンスクリット語と俗語が併用されていた。また南インドのドラヴィダ族も知識人はサンスクリットの読み書きはできたので、サンスクリット語は中世ヨーロッパのラテン語のように古代インド全域に通じる共通語であった。中国僧の玄奘や義浄がインドを自由に旅行できたのも、彼らがサンスクリット語を完全にマスターしていたからである。また、サンスクリット語は仏教やヒンドゥー教にともなってアジア諸国に伝えられた。東南アジアの1~2世紀頃の国家誕生期の碑文も多くはサンスクリットで書かれ、現在もそれに由来する語彙が含まれている。中国を通してわが国にももたらされ、梵語つまり梵天(ブラフマー神)の言葉として僧たちの教養科目の一つとなった。梵語を書くための文字は悉曇(しったん)と呼ばれ、今日でも墓の卒塔婆に見ることが出来る。日本の五十音図はサンスクリット語の文字表に起源するものである。<山崎元一『古代インドの文明と社会』中央公論社版世界の歴史3 p.250>