河姆渡遺跡
長江下流の新石器時代中期、紀元前5000年頃の稲作が明らかな農耕遺跡。長江文明の中心遺跡として重要。
河姆渡(かぼと)遺跡は、長江の下流域の杭州湾南岸の沖積低地に位置する稲作農業(水稲)を基盤とした紀元前5000年頃~3300年頃の新石器時代中期の遺跡であり、大量の稲籾、稲殻、籾殻などが平均して20~50cmにわたって堆積し、最も堆積の厚いところでは1mに達していた。1970年代に行われたこの発掘で、長江下流域に稲作の起源をもとめる説が強まった。現在では長江中流域の湖南省彭頭山遺跡から、河姆渡文化よりも古い、紀元前7000~6000年頃に遡る栽培種の稲が出土し、長江中流域稲作起源説が強まっている。<竹内康浩『中国王朝の源流を探る』世界史リブレット95 2010 山川出版社 p.17-18>
稲作農業の起源
重要なことは、長江下流域で河姆渡遺跡で稲作農業が発達した前5000~4000年という時期は、華北において仰韶文化が栄えていた時期と同時期であり、そちらはヒエ・アワを中心とした畑作農業であったことである。これによって、従来は黄河流域の仰韶を中心とした黄河文明が中国文明の源流として強調されてきたが、それとは別に、稲作農業を基盤として発展した長江文明の存在が明らかになった。最近では黄河流域の文化と長江流域の文化をあわせて中国文明として捉えられるようになっている。<NHK 世界四大文明展『中国文明展』2000年による>