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楚辞

中国の戦国時代、江南の楚国で作られた詩を、屈原が編纂した詩文集。

 戦国時代の楚の屈原が、昔からの民謡を洗練し、賦という新しいスタイルにした。屈原は大詩人であり、楚王に仕えていたが、当時の無能な王が秦に操られていることを憂いて、その心情を歌い上げた。その思いは入れられず、屈原は絶望のあまり、江に身を投げて自殺した。

古代中国南方の歌謡集

 中国古代の詩の編纂は周代の歌謡を集めた『詩経』に始まるが、そのおよそ3百年後の紀元前4世紀、戦国時代の末に南方の楚国(今の湖南省・湖北省一帯)の屈原が、自作の詩を中心に編纂したのが『楚辞』である。いわば、気候が温暖で豊かな中国南部の楚国の文学全集にあたり、乾燥して寒冷な華北の黄土地帯で産まれた『詩経』にくらべて、明るくのびのびし、ロマンチックな作風となっている。<松枝茂夫『中国名詩選』上 1983 岩波文庫 p.16>

Episode 毛沢東も愛読した楚辞

 屈原の愛国詩は人々に愛唱され、文化大革命での江青にも大きな影響を与えた。同じ楚の地方に生まれた毛沢東も『楚辞』を愛読しており、日本の田中角栄首相が北京を訪れたさいに贈ったのが『楚辞』だった。<貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』講談社学術文庫版p.459>
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書籍案内

松枝茂夫
『中国名詩選』上
1983 岩波文庫

『楚辞』は抜粋であるが、その内容を知るには手頃である。