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江青

毛沢東夫人。文化大革命で四人組の一人として政治の実権を握る。毛沢東死後、1976年に逮捕され、死刑を求刑された後自殺した。

江青

公開裁判での江青

 江青(李雲鶴 1913-1991)は1930年代には藍蘋(ランピン)という芸名の上海の映画スターであった。革命運動に関わり1933年に共産党入党、1937年秋に延安に行って38年に毛沢東と結婚し、江青と名を変えた。その間の経歴はあまり知られていないが、相当スキャンダラスだったらしく、文化大革命中にその素性を知っている映画人が多数迫害され、口を封じられたという。毛沢東夫人という立場を利用して、急速に政治に介入するようになった。

文化大革命を推進

 中華人民共和国建国後、映画界出身の指導委員として文化政策に関わるようになり、京劇改革などを行いながら文芸革命に着手した。1966年、毛沢東の司令でプロレタリア文化大革命が始まったが、その前年の文革のきっかけとなった姚文元による呉晗の歴史劇『海瑞免官』に対する批判は、もともと江青が毛沢東に吹き込んだものであった。文化大革命が始まると江青は中国共産党中央文革小組の第一副長となり、沸き起こった紅衛兵の活動を強く支持し、革命を推進する造反派の中心となって劉少奇・鄧小平を実権派・走資派として厳しく追及した。その過程で毛沢東やその協力者林彪の周辺で革命を推進していた、張春橋、姚文元、王洪文とともに四人組と言われるようになり、江青はその中心にあったのでついには女帝とまで言われるようになった。 → 中華人民共和国
 特に1971年9月林彪事件で林彪が失墜すると他の仲間と権力の奪取を謀り、権力の中枢を占め、周恩来や鄧小平らの実務派と鋭く対立するようになった。江青は周恩来を中国古代の思想家孔子になぞらえて、封建思想の持ち主として、林彪とともに批判する批林批孔運動を起こした。1976年の周恩来死去の後、天安門事件(第1次)がおきると、鄧小平が再び失脚したため、四人組は権力を独占することとなった。しかし、共産党内部には文化大革命の混乱を収拾し、経済を再建しなければならず、そのためには社会主義革命の維持、階級闘争の維持を強く叫ぶ四人組を排除しなければならないという意識が生まれてきた。

Episoce カタツムリ事件

 1973年、鄧小平が進めようとしていた近代的科学技術の導入に反対だった江青が「カタツムリ事件」といわれる一つの事件を起こした。当時、中国ではカラーテレビを自前で実現しようと研究していたが、うまくいかず、国務院はカラー・ブラウン管の生産ラインを輸入することにし、アメリカに調査視察団を送った。視察団を受け入れたアメリカのコーニング社はメンバー全員に自社が作った水晶のカタツムリの置物をプレゼントした。それを知った江青は「カタツムリのように歩みがのろいと言って我々を罵り、侮辱している」と難癖をつけ、カラー・ブラウン管を輸入しようとした国務院を「売国主義、洋奴(西洋の奴隷)哲学に侵されている」と罵った。周恩来は調査の結果、カタツムリはアメリカで幸福と吉祥を象徴するもので問題ないとしたが、この騒動の影響でカラー・ブラウン管の生産ライン導入が数年遅れることになった。<高原明生・前田宏子『開発主義の時代へ』シリーズ中国近現代史⑤ 2014 岩波新書 p.20-21>

四人組とともに逮捕される

 四人組を支持していた毛沢東が死去した1976年9月9日以降は、急速にその権威を落とし、10月に華国鋒政権によって四人組は逮捕された。その後、1977年に中国政府は文化大革命の終了を宣言、文革の混乱の責任追及に焦点が移っていった。華国鋒に代わって実権を握った鄧小平は、1978年12月改革開放政策への歴史的転換を遂げていた。

四人組裁判

 文革の責任追及でヤリ玉に挙げられたのが、毛沢東の強い支持を受けるとともにその政治判断に強い影響力を持った四人組だった。わけても江青に対する反文革派の怨恨が強かったため、最も厳しく追及されることになった。1980年11月、「林彪・江青反革命集団」裁判が行われ、江青は死刑(執行2年延期)、政治権利終身剥奪の判決を受けた。その裁判中も江青は、大声でわめきちらし、自分の無罪を主張した。83年に無期に減刑されたが、91年に自殺した。

Episoce 革命無罪! 造反有理!

 江青の裁判は公開で行われ、世界中にそのテレビ映像が流れた。世界中の人が注目したその判決は次のように行われた。
(引用)江青の裁判はドラマチックであった。外電の報道は「中国で最も人々に憎まれている女性。66歳の江青は黒色のマオ・ルックの上着、かけた眼鏡がテレビ撮影の照明でキラキラと輝いていた。彼女は厳格な女性教師のようであった。彼女は頭を上げ、胸を張って聴衆のなかを通り抜け、被告席に着き凶悪な形相で顎をあげてていた」と伝えていた。
 江青は被告席に着くと、判事の曽漢周がテーブルを叩いて厳しく「江青、お前は犯人で、被告だ。我々を恐れるべきだ」と言うと江青は最初ちょっと驚いたようだったが、すぐに言い返した。「なに?お前を恐れろと言うのか?」、……ふたりはこのように何回かやり取りし、「誰が誰を恐れるのか」と言い争った。そして江青は、ハハハと大笑いをして言った。「お前の隣にいる江華に聞いてみるといい、わたしが誰かを恐れたことを見たことがあるかを!」。江青の登場でひと騒ぎがあり、最後の判決を下すときにも騒ぎとなった。裁判長の江華が江青を脅すために「江青への判決、死刑!」と読み上げ、「死刑」と言ったところで休みを入れた。江青は続いて「革命無罪、造反有理!葉(剣英)鄧(小平)反革命集団を打倒せよ!」と叫びだした。江華はさらに執行猶予二年を申し渡した。<楊継繩/辻康吾他訳『文化大革命五十年』2019 岩波書店 p.102>

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楊継繩/辻康吾編訳
『文化大革命五十年』
2019 岩波書店

高原明生・前田宏子
『開発主義の時代へ』
シリーズ中国近現代史⑤
2014 岩波新書