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南匈奴

48年、匈奴が南北に分裂した後、後漢に服属した方を南匈奴という。五胡の一つとして華北に進出。

 東西分裂によって生まれた東匈奴は、漢と協力して西匈奴を滅ぼしたので、後漢時代には東匈奴だけがの匈奴といわれるようになった。彼らは後漢に服属していたが、後継者争いとイナゴの害によって危機を迎えた。後漢からの独立を志向する蒲奴単于が北匈奴として分離したのに対して、後漢との和親を求めるグループは呼韓邪単于(東匈奴初代の単于)の孫を擁して、48年にふたたび呼韓邪を名乗らせた。これが南匈奴である。

五胡の一つとしての匈奴

 南匈奴は五胡の一つの「匈奴」として傭兵となり、中国の各王朝との関わりを深めて行く。
 南匈奴の単于の後裔である劉淵の部将であったが八王の乱の混乱に乗じて304年に独立し、(前趙)を建国した。劉淵は匈奴の系統であったが、漢王室を再興すると称して劉氏を名乗った。これが、五胡十六国の始まりであった。