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東魏

北魏が分裂して534年に成立した国家。

 523年、北魏の漢化政策や、貴族制の導入に反発した、北方系の軍人が反乱を起こし(六鎮の乱)、北魏は大混乱に陥った。その中から台頭した軍人の高歓が、534年北魏の孝静帝を擁立し北魏の東半分(山西省以東)を支配、都を鄴(ギョウ)(河北省)に定めた。自らは晋陽に「幕府」を開いた。この東魏に対して、地方軍団長の宇文泰は535年、孝武帝を立て長安を都に、自らは華州に「幕府」を開いて華北の西半分を支配し、西魏が分立した。しかし東魏は、建国に功績のあった北方系の軍人(勲貴)と漢人官僚の対立が激しく、政権は安定しなかった。550年、高歓の子の高洋が、東魏の皇帝から禅譲を受けて北斉を建国する。
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