唐末から各地に置かれた
節度使は、管轄する州の軍事にとどまらず、民政全般の権限を付与されたため、次第に独立政権として力を蓄え、唐滅亡後の
五代十国の争乱期ではそれぞれが独立した王国を建てて対立した。このような本来軍事上の官職に過ぎない立場のものが、政治権力を握り、その武力を背景に統治することを武断政治という。唐末の節度使から五代十国がそれにあたり、その混乱を平定した宋の太祖
趙匡胤は、いわゆる
文治主義に切り替え、官僚統治を復活させることに主眼を置いた。
また1910年代の
日本の朝鮮植民地支配の総督府による統治も現役の軍人が総督となったので、
武断政治と言われる。