盧溝橋
金のとき架橋された北京郊外の石橋。マルコ=ポーロも訪れたと言われる。1937年、日中戦争の発端となった盧溝橋事件の現場。
ろこうきょう。現在の北京(燕京)の南西を流れる永定河にかけられた橋で、金の章宗の時、1189年に架橋されたものが現存する。橋の長さは212m(たもとの部分をふくむと266m。幅は8m。橋を11のアーチが支えている。洪水と氷塊に備え、橋脚は上流と下流をとがらせ、水の衝撃を少なくする工夫がなされている。しかも三角の鉄柱が氷塊をくだくように立ててある。斬竜剣と呼ばれている。欄干の柱には様々な姿をした獅子がおかれている。総計499あるという。西詰では象があたまで欄干を支えている。
※なお、盧溝橋は、蘆溝橋と書く場合もあったが、現在は盧溝橋で統一されている。また、廬は誤りであるので注意しよう。
「盧溝暁月」の碑
現在の盧溝橋
マルコ=ポーロ橋
北京と南方の交通にはこの橋を通らなければならない。元代にマルコ=ポーロがこの橋に驚嘆したこと『東方見聞録』にもある。西洋の人々はマルコ=ポーロ橋と呼んだ。橋のたもとに乾隆帝の筆になる「盧溝暁月」の石碑がある。<竹内実『北京』世界の都市の物語 文芸春秋社 p.122> → 盧溝橋事件※なお、盧溝橋は、蘆溝橋と書く場合もあったが、現在は盧溝橋で統一されている。また、廬は誤りであるので注意しよう。
盧溝橋 2007年
「盧溝暁月」の碑
現在の盧溝橋