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モンゴル文字

モンゴル人が使用した文字。ウイグル文字などをもとにチンギス=ハンの時に制定された。革命後のモンゴルでは1942年からモンゴル語の代わりにソ連圏の共通文字であるキリル文字が使用されたが、1991年の民主化によって、現在はモンゴル文字が復活している。中国領の内モンゴル自治区でもモンゴル文字が使われている。

モンゴル文字

現代のモンゴル文字 世界人権宣言の一部
Unicodeモンゴル文字フォントの例

 モンゴル民族は始め、文字を持たなかったが、チンギス=ハンナイマン王を従えたとき、捕虜とした臣下のウイグル人から、ウイグル文字を学び、モンゴル文字を制定したといわれている。モンゴル文字は縦書きが特徴で、左行から右行に向かって読む。
 フビライ=ハンは1269年に公文書用としてチベット系のパスパ文字(パクパ文字)を制定したが、一般には普及せず、元の滅亡と共に忘れ去られた。
 モンゴル文字はその後もモンゴル語を表記する文字として使われ続けた 。20世紀に入り、1924年に外モンゴルにモンゴル人民共和国が成立(世界で2番目の社会主義国だった)した後、ソ連の影響が強まり1942年にモンゴル文字が廃止され、ロシア語のキリル文字が使われることとなった。しかし、同じモンゴル人である中国の内モンゴル自治区では、そのままモンゴル文字が使用され続けている。
 1991年にソ連が崩壊し、モンゴルも社会主義国から転換することとなるが、民主化・自由化の動きの中で民族の文字であるモンゴル文字の復権が叫ばれるようになり、1992年に成立したモンゴル国では、94年にモンゴル文字を復活させる法律も作られた。学校教育を通してモンゴル文字の普及が進められているが、現実には依然としてキリル文字を使うケースの方が多い。このようにモンゴル文字はモンゴルの歴史に翻弄された経緯がある。

モンゴル人民共和国でのキリル文字使用

 ソ連では、アルメニアとグルジア(ジョージア)を除き、連邦内の各共和国が、独自な文字の使用を止め、ロシアで使われているキリル文字の使用に右にならえで統一されていった。モンゴル人民共和国はソ連邦には加わっていない独立国家であったが、モンゴル人民革命党が「民族主義」を排除して「国際主義」を理念として掲げたので、1940年ごろから急速にキリル文字化し、42年には正式に採用され、50年代に定着した。
否定されたラテン(ローマ)字 ただし、モンゴルでキリル文字(ロシア文字)化する前に、ラテン字(ローマ字)化がはかられた段階があったことは忘れてはならない。
(引用)革命後間もない頃、1920年代に入ると、ロシア連邦、次いでソ連邦では、革命は言語と文字に及ぶべきであるという雰囲気が高まった。そこでロシア文字は、封建制と家父長制に結びついた、旧弊で反動的な文字であると考えられた。アラビア文字に至っては、宗教と切りはなすことのできない、反社会主義的な文字であると。このような考えから、ロシア語をも含めたすべての言語について、ラテン化の方向が目指されていた。このことは、当時プロレタリアート国際主義の言語としての、エスペラント語に期待がかけられ、助成されていたことと深い関係がある。エスペラント語の国際性を保証しているものの一つは、ラテン文字だと考えられたのである。<田中克彦『モンゴル 民族と自由』1992 岩波同時代ライブラリー p.187-8>
 このような考えで、モンゴルでも1930年には人民革命党もラテン文字に移行することを決定し、頭韻や官吏は一斉にその学習を開始した。これは一方で地域的な違いのあるモンゴル文字ではなく、ラテン文字を使うことでモンゴル民族の統一を進めるという側面もあった。
 ところが大転換は1941年に起きた。3月25日に党中央委員会において、突然ラテン字化を止めてロシア文字に転換するという方針が決定され、6月にはロシア文字でモンゴル語を教える最初の教師258人が養成され、主要機関に派遣された。45年にはロシア文字を使える者が6万5千にのぼった。そして1950年7月1日からはすべての公文書を「新文字」で書くことになった。<田中克彦『同上書』 p.191>
 ラテン文字が定着すればモンゴル民族の統一が進むが、それをめざすのは誤った民族主義であり、ソ連邦の共通文字であるロシア文字(キリル文字)を使うことがプロレタリアート国際主義の正しい方策である、と断定されたのであろう。

モンゴル文字の復活

 しかし、ソ連でのペレストロイカの影響がモンゴルにもおよび、1989年ごろから民主化が叫ばれるようになると、民族の伝統であるモンゴル文字の復活の動きも積極化した。1991年に自由選挙が実現、1992年には社会主義を放棄して、国号をモンゴル国と改めるとともに、モンゴル文字の復活が正式に宣言された。まず学校教育などではモンゴルの伝統文化として教えられるようになり、モンゴル文字の書道なども盛んになっている。しかし、実社会では依然としてキリル文字(ロシア文字)が広く使われており、モンゴル国の正式なホームページなどを見ても、モンゴル文字表記は見あたらない。どうやら、モンゴル文字は横書きが難しいことが、あまり普及しない理由のようだ。

Episode 旭天鵬、白鵬に「これなんて読むの?」

 モンゴル人力士でも、自由化前に教育を受け、1992年に来日して大相撲の世界に入った旭天鵬(1974年生まれ)はモンゴル文字が読めず、2000年に来日した白鵬(1985年生まれ)は読めた、という話がある。白鵬の子ども時代は学校でモンゴル文字教育が始まっていた、ということであろう。<朝日新聞 DIGITAL 2015/5/13
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書籍案内
田中克彦『モンゴル』表紙
田中克彦
『モンゴル 民族と自由』
1992 岩波ライブラリー