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破門

中世キリスト教教会で信者に与えられる最大の罰。教皇がたびたび国王を破門した。

 破門(excommunication)はローマ=カトリック教会において信者に対して与えられる最大の罰。破門されることによって信者としての諸権利は認められず、キリスト教世界から追放されることを意味していた。

皇帝や国王を破門

 1076年2月、ローマ教皇グレゴリウス7世は公会議を開いてハインリヒ4世の破門を決議、キリスト教徒との交際を禁止し、封建家臣の彼に対する忠誠義務を解除した。これでドイツ中は大騒ぎとなり、ドイツの司教も諸侯もハインリヒ4世の皇帝位からの退位を要求した。これはハインリヒ4世にとって決定的な危機となるので、「カノッサの屈辱」を忍んで、許しを乞うこととなった。これ以外にも、インノケンティウス3世によるイギリスのジョン王の破門、離婚問題に端を発したヘンリ8世の破門など、枚挙にいとまがない。

国王にとって破門されるとは

 中世ヨーロッパのキリスト教世界では教会で洗礼を受けることが公民であることの条件であったから、破門されることは公民権を喪失することであって、結婚・仕事・死後の埋葬など、社会生活が不可能となることを意味していた。国王といえども教皇によって破門されると、封建諸侯は王に対する中世の義務を解除され、王の治下の人民は貢納の義務を果たさなくとも良いことになる。中世ヨーロッパの国王は俗界の支配者でありながら「信仰の擁護者」として教皇の下風に置かれていたのである。
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