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ランス大聖堂

フランク王国のクローヴィスが洗礼を受けた教会。大司教座があり、フランスの歴代国王はここで戴冠式を行った。ランス大聖堂は、13世紀フランスのゴシック様式の代表的建築。

ランス GoogleMap

ランスはフランス東北部、パリから約130kmのところにある司教座都市。大聖堂は、496年にカトリックに改宗したクローヴィスが洗礼を受けたところとして、後のフランス王国の各王朝にとっても特別の意味を持っていた。ランス Reims (フランス語読)はクローヴィスを洗礼を授けた聖レミギウス Remigius に由来する。
 クローヴィス以後のフランス王は、ランス大聖堂で戴冠式を挙行し、聖なる王としてフランスに君臨することが許されると考えられ、百年戦争の時のシャルル7世ジャンヌ=ダルクに導かれてこの大聖堂で戴冠式をあげ、正式な王位が認められた。

ランスの大司教の特別な地位

 中世ヨーロッパの三大国ドイツ(神聖ローマ帝国)、フランス、イギリスの国王は、いずれもキリスト教徒として聖職者から塗油されることが必要とされていた。つまり正式な国王になるには、塗油を受けて、生きたままで聖者的存在になることが求められていた。塗油とは「油を注がれたもの」となるための儀式で、聖職者の手から頭に少量の油を注がれることによって「聖別」されることを意味した。もともと「油を注がれた者」とはヘブライ語のメシア、ギリシア語のクリストスにあたり、救世主を意味していた。キリストという名も「油を注がれたもの」を意味するクリストスから来ている。
 中世の王権が確立していく過程で、どの国王はどの聖職者から塗油を受けるか、という関係性が明確になっていった。そのなかでフランス王はランス大司教、イギリス王はカンタベリ大司教、神聖ローマ皇帝を兼ねたドイツ王はケルン大司教もしくはローマ教皇から塗油を受けることなり、それぞれの国王が特定の塗油権者をもつようになった。同時に塗油は即位の絶対不可欠の条件となり、例外は許されなくなった。
 塗油権をもつのはランス、カンタベリー、ケルンの三大司教に最初から限られているわけではなかった。フランスの場合は、カペー家初代の国王は、ランスのほか、サン、トゥール、ブールジュの大司教及び約20の司教の任免権を握っていた。そのうち、ランスの大司教のみが国王塗油権をもったのは、ランスには地名の由来となった聖レミギウスが、フランク王国の始祖クロヴィスの洗礼のため、鳩に運んでもらった聖油がるとの伝承のせいである。しかし、この伝承もランスの大司教を特別扱いする理由にはならなかった。フランス国王は、自分の好むままの人物あるいは自分の親族をランス大司教にすることができた。<鯖田豊之『ヨーロッパ中世』世界の歴史9 河出書房新社 1989 p.164>

ランス大聖堂

 現在のランス大聖堂はクローヴィスが496年にキリスト教に改宗し、洗礼を受けたところという歴史的意義を持つ、ランス大司教座がおかれた。1211年に創建された大聖堂は、ゴシック様式建設の代表的な建造物として世界遺産に登録されている。一般的にはランス大聖堂問われるが、正式にはランス・ノートルダム大聖堂である。

ランス大聖堂 (トリップアドバイザー提供)
ランスの旅行情報(Tripadvisor)

ランス大聖堂 (トリップアドバイザー提供)

世界遺産

 1991年、「ノートル-ダム大聖堂、サン-レミ旧大修道院及びタウ宮殿」として世界遺産に登録されている。
・ノートル-ダム大聖堂はゴシック美術の傑作であり、13世紀の高い建築技術と、彫刻群の美術的価値が調和している。完成度の高い建築は後の多くの建物に影響を与え、彫刻は建物の構成上で不可欠な部分であり、イル・ド・フランスの伝統とシャンパーニュ地方の地方的な要素の両方を反映している。
・サン-レミ旧大修道院は、8世紀に設立された王立ベネディクト会修道院。サン-レミとはクローヴィスに洗礼を授けた聖レミギウスのこと。彼の名はランスの語源でもある。修道院は、18世紀の壮大な建築様式が特徴で、ロマネスク様式の素晴らしい彫刻が残るチャプターハウスがある。修道院は戴冠式の儀式と密接に関わっている。
・タウ宮殿とは大聖堂に隣接する宮殿で、かつて大司教の住居であり、フランスの歴代国王戴冠式の記憶を留めている。王はパラティーノ礼拝堂で祈り、この宮殿で眠り、戴冠式の後、宴会場で祝宴をした。美しい13世紀のパラティーナ礼拝堂と15世紀の宴会場はそのまま残っている。タウ宮殿のファサードは、17世紀の美しい秩序を誇り、現在は戴冠式に関連する宝物や芸術作品が展示されているオーヴル美術館となっている。
 → UNESCO 世界遺産 関連ページより