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ノートルダム大聖堂

パリのシテ島にある司教座教会。13世紀のゴシック様式の代表的な建築。パリ大学はこの教会の付属学校から始まった。フランス革命での破壊、ナポレオンの戴冠式などの歴史の舞台となりパリの象徴となった。

 パリ司教座のおかれた教会にある、ゴシック様式の代表的な聖堂建築。パリ中心部のシテ島にあり、1163年に着工され、カペー朝のルイ9世の時代の1245年ごろ完成したと言われる。最終的に現在の形になったのは1345年であり、13~14世紀に西ヨーロッパの教会建築に広く見られるゴシック様式の代表的建造物と言うことができる。正面に四角形の双塔を持ち、中央にひとつの尖塔がある。また正面の大きなステンドグラスも、ゴシック様式の特徴の一つである。ノートルダム大聖堂付属の学校から発展したのが、パリ大学(ソルボンヌ)とされている。
ノートルダム大聖堂 1930年代の写真
ノートルダム大聖堂正面
正面
ノートルダム大聖堂内部
内部
ノートルダム大聖堂尖塔
尖塔
ノートルダム大聖堂全景
全景

歴史の中の大聖堂

 フランス革命が進行すると、ジャコバン派独裁政権の中の最左派のエベールは非キリスト教化の一環として、キリスト教の神を否定して人間の理性を崇拝するという運動を起こし、1793年10月、ノートルダムを占拠して「理性の崇拝」の儀式を強行した。このとき、大聖堂の一部が壊されたり、略奪にあっている。しかし、フランス革命を終わらせ、軍事と政治で独裁権を握ったナポレオンは、1801年にローマ教皇とコンコルダートによって和解し、1804年5月にそのノートルダム大聖堂でナポレオン1世としての戴冠式を挙行した。
 1831年には、作家ヴィクトル=ユーゴーが小説『ノートルダム=ド=パリ』を発表して国民的人気を博し、それがきっかけとなってノートルダム大聖堂の本格的な修復が行われた。
 第二次世界大戦でパリはドイツ軍に占領されたが、1940年8月25日、連合軍によって解放されたとき、ノートルダム大聖堂からパリ解放を知らせる鐘の音が鳴り響いた。
 1991年、ノートルダム大聖堂は周辺の建築群とともに、ユネスコ世界遺産に登録された。

NewS ノートルダム大聖堂炎上

 2019年4月15日、午後7時ごろ、ノートルダム大聖堂で大規模な火災が発生し、屋根や尖塔が焼け落ちるという惨事が起こった。当時は改修工事が行われており、その現場からの出火かと思われる。フランス国民は850年以上にわたってパリの歴史を見守り続け、カトリック信仰の象徴とも言える大聖堂の火災に大きな衝撃を受け、また世界中が貴重な世界遺産の火災に固唾を呑んでニュースを聞いた。火災は屋根と尖塔にとどまり、建物本体の焼失は免れたが、消火活動のため内部の文化財の多くが破損し、大きな損失となった。マクロン大統領はただちに再建に着手すると述べたが、完全な修復には数十年規模の機関が必要と観測されている。  → AFPbbニュース 2019/4/16
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