ギリシア系商人
ギリシア系商人は紀元前から地中海で活動し、1世紀ごろからインド洋の季節風貿易に進出した。
ギリシア人は、早くから地中海世界での植民活動を盛んに行い、植民市を建設して以来、海上貿易に従事することが多かった。地中海ではフェニキア人と交易や植民活動・交易活動で競合し、ペルシア戦争やポエニ戦争の背景ともなった。
特にヘレニズム国家(ギリシア系)としてアレクサンドリアを都として栄えたプトレマイオス朝エジプトは、紅海からインド洋方面に進出していた。
ローマ帝国は地中海域を支配してから、アレクサンドリアのギリシア人の交易活動を保護し、彼らの地中海から紅海、アラビア海方面に渡る活動はさらに活発となった。
ヘレニズム時代
アレクサンドロスが東方遠征を行い、ギリシア人の東方植民がおこなわれると共に、彼らの活動もインド洋方面にも広がった。アレクサンドロス大王がインダス川から引き上げる際、その部将のネアルコスは別働隊を率いてインダス川河口から船出し、インド洋を東から西に航行してペルシア湾に入って上陸し、バビロンの大王に合流したが、これもギリシア人がインド洋方面への情報を得る契機であったと思われる。特にヘレニズム国家(ギリシア系)としてアレクサンドリアを都として栄えたプトレマイオス朝エジプトは、紅海からインド洋方面に進出していた。
ローマ帝国は地中海域を支配してから、アレクサンドリアのギリシア人の交易活動を保護し、彼らの地中海から紅海、アラビア海方面に渡る活動はさらに活発となった。
インド洋の季節風貿易
1世紀ごろからギリシア系商人によるインド洋交易圏の季節風を利用する季節風貿易が盛んに行われ、海の道といわれる東西交易路が形成されるようになった。彼らの活動は『エリュトゥラー海案内記』というギリシア語文献に記されている。ローマ帝国時代には、インドとの間で盛んな交易が行われたことは記録にも残されており、またインドにおいてローマ製の金貨などが大量に出土することから明らかであるが、このインド洋の季節風貿易を担っていたのがギリシア人商人であったと考えられている。ローマ帝国の衰退に伴い、インド洋海上貿易でのギリシア人の活動も衰え、やがてムスリム商人に取って代わられることになる。海運王オナシス
その後もギリシア人の海上での活動は長くつづき、現在でもギリシアは有数の海運国家である。アメリカ大統領ケネディ夫人であったジャクリーンの再婚相手のオナシスはギリシア人であり、海運業で巨富を築いた人物である。