季節風貿易
ローマ帝国時代に行われたインド洋での季節風を利用した貿易。
ローマ帝国の東方には当時、西アジアにパルティア王国、北インドにクシャーナ朝、中央インドにサータヴァハナ朝、南インドにチョーラ朝やパーンディヤ朝、東南アジアには扶南、中国には後漢があり、それらの国々を結ぶ交易が行われていた。特にインド洋では1世紀頃にギリシア系商人が季節風を利用した遠距離航海に活躍するようになり、インド産の品々がローマにもたらされ、ローマの金貨がインドにもたらされるなどの交易が行われた。 → インド洋交易圏 ローマの貨幣
Episode ヒッパロスの風
インド洋の季節風は、紀元前後にギリシア人のヒッパロスが発見したとされ、「ヒッパロスの風」と言われている。インド洋の季節風は1月前後は北東の風が強いが、夏は南西の風がインドに向けて吹く。この夏の季節風を利用すれば2週間ほどで容易にアラビア半島からインドに渡ることができた。ローマ帝国領からはぶどう酒やオリーブ油、珊瑚、ガラス器などが運ばれ、インドからは胡椒などの香辛料、真珠、象牙、綿布、中国産の絹、アフガニスタンのトルコ石やラピスラズリなどが輸入された。そのほとんどはローマ側の輸入超過で、金貨や銀貨がインドに流出していた。<山崎元一『古代インドの文明と社会』中央公論社版世界の歴史3 p.227-228 など>資料
『エリュトゥラー海案内記』 紀元1世紀、エジプト・アレクサンドリアのギリシア人商人が、インド洋の交易の航海案内のために書いたとされる『エリュトゥラー海案内記』第57節に次のような記事がある。(引用)カネーとエウダイモーン・アラビア(現在のアデン)からの上述の全廻航を(昔の)人々は現在よりも小さい船で湾を廻りつつ航海していたが、始めて舵手のヒッパロスが、商業地の位置と海の状態とを了解して、大海横断による航海を発見し、それ以来インド洋で局部的に、我々の辺でと同じ頃に大洋(オーケアノス)から吹く季節風である南西風は(横断航海を初に発見した人の名に因みヒッパロスと)呼ばれるように思われる。それ以来今日まで或る者は直ぐカネーから、また或る者はアローマタから出航し、リミュリケーに向かう者はかなりの間風に逆らい、バリュガザやスキュティアーに行く者は三日を超えず陸地にくっついて進み、それ以後は自分の航行に都合の良い(風を得て)外海を通って前述の数々の港を行き過ぎるのである。<村川堅太郎編訳『エリュトゥラー海案内記』中公文庫版 p.137>