胡朝
15世紀初めのベトナムの王朝。わずか8年で明の永楽帝に滅ぼされた。
1400年から1407年までの短期間、ベトナム大越国に成立した王朝。胡はホー。14世紀に陳朝が衰退する中で、1388年、皇后の一族の宰相レ=クィ=リが国王を殺害し、1400年にホー=クィ=リと改めて王位に就き、国号も大虞(ダイグゥ)として胡(ホー)朝を成立させた。胡朝は陳朝末期の官僚の腐敗を正すため、首都を昇竜(タンロン)からタインホアに移し、科挙を実施し、中央と地方の官制を改め、監督官制を敷くなどの改革を行った。そして陳朝の時に定められたチュノムの使用を奨励し、体制の回復をめざし、中部ベトナムのチャンパーに出兵した。
永楽帝の介入により滅亡
1406年、陳朝の回復を口実に明の永楽帝がベトナムに出兵すると、胡朝も激しく抵抗したが、翌年敗れて滅亡した。陳朝が一時復活するが、明は実質的にベトナム北部を併合し、しばらくは明の支配を受けることとなる。しかし、ベトナム民衆の反明の動きがまもなく高まり、1428年に土豪の黎利(レ=ロイ)が決起して明の支配をはね返し黎朝を建てる。 → ベトナム(2)