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小説

唐代に始まった文言(書き言葉)による伝奇小説に対し、宋代になって口語(語り言葉)で物語を書く「白話小説」が生まれ、明代に発展した。明代の『水滸伝』『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』が代表的な小説で、四大奇書という。清代には『儒林外史』『聊斎志異』『紅楼夢』などがある。中国文学では戯曲と並んで長い伝統のあるジャンルであった。

 「小説」というのは中国の文学のジャンルの一つで、唐代に始まる文語でかかれた「短編の話」であり、主に伝奇的(不思議な話)内容であった。これにたいして宋の時代から口語で書かれた小説が生まれ、英雄豪傑の話が取り上げられて庶民に喜ばれるようになった。「小説」が著しく発展したのがの時代であり、その代表作がまず『水滸伝』であり、『三国志演義』であった。この二書に『西遊記』と『金瓶梅』を加えて、明末清初の文人李漁が四大奇書と呼んだ。これらの長編口語小説はいずれも面白さを第一とした通俗的な内容であり、広く中国の民衆に受け入れられた。このように中国の小説は西欧的、近代的な文学としての小説とは意味が異なっている。また、小説とは異なる文学のジャンルでは、伝統的な中国文学としてのいわゆる漢詩や、元代の元曲から始まり明・清で発展した戯曲などがある。 → 明の文化清の文化

中国における小説 文言から白話へ

 中国において、あきらかに虚構であることを意識した文学作品である小説が生まれたのは、8世紀後半の唐の中期の唐代伝奇と呼ばれた一群の短編小説からである。この時期の小説は、正統的な教養を身につけた文人の手になる「文言(書き言葉)」で記されていた。宋代(北宋・南宋)になると「筆記(記録、エッセイ)」のジャンルが盛んになり、多くの文人が競って筆を染めた。「筆記」には記録はもちろんのこと、唐代伝奇を受け継ぐ「筆記小説(文言による短編小説)」も含まれ、それは怪異譚が主流であった。これらは宋代から清末の19世紀末まで絶え間なく書き継がれた。
 この文言による小説とは別に、やはり宋代以降、民衆の間で語り手(講釈師)による語り物が盛んになり、そのテキストである「話本」も出回るようになった。話本の文体は講釈師の語り口をそのまま写す「白話(話し言葉)」が用いられ、この盛り場育ちの「白話小説」がその後の中国小説史の主流になっていく。
 明代に刊行された『三国志演義』(羅貫中)・『水滸伝』(元代に作られ明の羅漢中がまとめる)・『西遊記』(呉承恩)・『金瓶梅』(作者不詳)の四大長編小説(四大奇書)はいずれも白話で書かれている。しかもこのうち前の三書は、宋代以来長く語り物として伝承されたもので、さまざまな「話本」を整理・集大成したものであった。<井波律子『中国文章家列伝』2000 岩波新書 p.212-213>

白話小説の作者

 文人趣味の一種であった文言による筆記小説とは異なり、素性卑しい盛り場育ちの明代白話小説の作者は教養高い知識人ではなかったので、ほとんど経歴不詳のままである。例えば『水滸伝』の作者とされている羅貫中は山西省出身の不遇な知識人であること以外にその障害はほとんど分かっていない。四大奇書の中で『金瓶梅』は他の三書と異なり、民衆世界の語り物を集大成したのではなく、最初から最後まで一人の作者が書いたものと思われるが、その作者は「笑笑生」というふざけたペンネームの陰に隠れて、正体を見せていない。その正体を巡っては諸説紛々と言った状況である。<井波律子『同上書』p.213>
 次の清代になると、白話小説の作者の正体が分からないと言う傾向は一変する。その先鞭をつけたのが『儒林外史』の作者呉敬梓であった。また、『紅楼夢』の作者曹雪芹、『聊斎志異』の作者蒲松齢はいずれも科挙受験歴があるか、あるいはその周辺の知識人でその経歴や人物は明らかになっている。
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書籍案内

井波律子
『中国文章家列伝』
2000 岩波新書