清の文化
中国の清代の文化は、異民族支配の厳しい思想統制のもとであったが、儒学では実証的研究が盛んになり、庶民文化が開花した。キリスト教は典礼問題を機に衰えたが、清朝末期の植民地化の危機が深まる中、新たな西欧文明の流入が始まり、文化的にも激動した。
清朝の支配(17世紀~20世紀初頭)のもとでの中国文化史の要点はおおよそ次のようにまとめることができる。
1.清朝による思想統制
征服王朝である清朝の支配のもと思想統制(文字の獄や禁書)が行われ、制度や官僚は満州人と漢人が併用(満・漢同数)されたが、次第に漢文化が優位となっていった。康煕字典・古今図書集成・四庫全書などが朝廷主導で編纂され、一方では文字の獄など厳しい思想統制も行われた。2.考証学の成立
儒学では明末清初に朱子学・陽明学の観念論に代わり実証研究を旨とする顧炎武・黄宗羲らが現れ、考証学が成立した。清末には社会改革を目指す公羊学派が起こった。3.庶民文化の発展
紫禁城を中心とした宮廷文化が栄える一方で、明代に続き庶民文化の発展が続き、白話小説が盛行。紅楼夢・儒林外史・聊斎志異・桃花扇伝奇などの傑作が生まれ、京劇が流行、現在の中国文化の基礎ができた。4.キリスト教の後退
キリスト教は典礼問題を機に衰え、宣教師は技術面だけの顧問となる。それでもアダム=シャール(湯若望)・フェルビースト(南懐仁)・ブーヴェ(白進)・カスティリオーネ(郎世寧)などが活躍し皇輿全覧図や円明園が作られた。その後キリスト教布教は自由貿易要求とともにイギリスなど西欧諸国による圧力として加えられてくる。19世紀には清朝の漢人官僚によってキリスト教を抜きにした西洋技術を取り入れようとする洋務運動が興ったが失敗に終わった。