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八旗

女真の狩猟組織から発達し、清の軍事行政のための制度。満州人の満州八旗から、蒙古八旗・漢人八旗に拡大。漢人の軍人は緑営を編制した。

八旗

八旗の図
実教出版 世界史B新訂版 p.233

 後金(アイシン)を建国した女真、つまり満州人のヌルハチが創設した軍制。彼らが狩猟の時に用いていた陣立てをもとに編成したという。壮丁(成年男子)300をもって1ニルとし、一部を兵として他を農耕に従事させ、5ニルを1ジャラン、5ジャランを1グサ(つまり1グサは7500の壮丁からなる)とする。この1グサが「旗」であり、最初は黄色・白色・紅色・藍色の4色の旗が創られ、後金の成立までに4旗(先の4色に縁取りをした)増えて8旗となったので八旗という。満州人はすべて八旗に編成されてヌルハチの軍事力を構成した(八旗すべてでは何名の壮丁となるか、計算してみよう)とともに、後金さらに王朝の行政組織ともなった。

八旗の拡張

 後に満州八旗のみならず、蒙古八旗漢人八旗も創られた。清の軍隊としては、中国本土を制圧した後、漢人の軍人を編成した緑営も創られ、併せて「八旗緑営」と称する。なお、八旗に所属する武人を旗人と言い、旗人に与えられる土地を旗地といった。旗人は清朝における支配階級を形成し、その力を振るったが、次第に実際の武人としての活動や少なくなり、清朝の後半ではその戦力低下を補うために郷勇という志願制の義勇兵組織が作られるようになる。
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