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緑営

清朝の軍事制度で、満州人中心の八旗とは別に編制された漢人主体の軍隊。

 清朝が満州人で変成した八旗の他に新たに編成した、漢人を主体にした軍隊を緑営と言った。清が中国本土を制圧してから、旧明の軍人を主体に京師に約1万、各省に全体で60万が編成された。軍隊ではあるが、平時には治安維持にあたった。三藩の乱では活躍したが、その後次第に泰平になれ、弱体化した。
八旗と緑営の違い 八旗と緑営は、前者が満洲人、後者が漢人で編制されることであるが、八旗は少数の要所に集中駐留する軍事力であり、緑営は多くの地点に少数ずつ散在した警察力であるという違いもある。

団練・郷勇へ

 八旗と緑営は、清朝の統治下において武力を占有する機構であったが、18世紀を通じて人口が急増し、清朝の統治がすべてに及ばなくなると、社会的矛盾を背景として各地に権力にて移行する秘密結社が現れ、独自に武装するようになった。その代表的な例が1796年から約10年にわたって蜂起した白蓮教徒の反乱であった。
 白蓮教徒の反乱を鎮圧する役目であった八旗・緑営は、1世紀に及ぶ清朝の繁栄のもとでの平和に慣れ、武力としては使い物にならず、反乱を鎮圧できなかった。そのような情況の中から、民衆の中に自衛のために武装する集団が現れた。それが団練といわれる段田である。団練は一種の中間団体として社会的に存在するようになり、後には政治的有力者が半ば公的に組織する郷勇を組織するようになる。その代表的な例が曾国藩が組織し、太平天国の乱を平定した湘勇(湘軍)であり、継承した李鴻章淮勇(淮軍)であった。
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