ラージプート絵画
インドの伝統美術の中で、ムガル帝国時代にヒンドゥー教を題材とした絵画が生まれ、宮廷でのミニアチュール絵画に対して主に民間に広がった。
ラージプート絵画 クリシュナ神像
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ラージプートの文化遺産
7世紀後半から13世紀初頭のインドには統一国家は生まれず、分裂期が続いたが、その時代をラージプート時代という。10世紀末から、アフガニスタンからのイスラーム勢力の侵入が激しくなり、北インドがしばしばガズナ朝やゴール朝軍によって略奪されるようになると、北インドのラージプート族諸侯は武力で抵抗することとなり、その戦いを通じて、独自の文化を形成していった。ラージプート諸国にはすぐれた建造物や運河、貯水池などの遺構が見られるが、10世紀以降になるとカジュラーホの見事な神殿建築、彫刻が現れ、11~13世紀にはジャイナ教寺院も建設されている。それらの多くはムガル帝国時代にも継承されている。城壁をめぐらしたチトール、ガリオール、ジョドプルなどの城塞やジャイプルの「風の宮殿」、アンバー城の宮殿、ウダイプルの宮殿などがその代表的な遺跡である。
ラージプート絵画の特質
(引用)ラージプートは建築、彫刻ばかりでなく、絵画においても独特の境地を示している。宮殿の壁画を飾る神像、戦争場面、王侯戦士の画像のほか、彼らは細密画においてもラージプート派をいう一派を成している。ムガル帝国時代のペルシア風なムガル派の繊細な細密画に対し、力強い筆致によるインドの伝統的画風を代表するのはラージプート派で、ヒンドゥー教の神話、伝説(特にクリシュナ伝説)を主題とするもののほか、王侯、貴族や貴婦人の肖像にも独特の画風を示し、その伝統は北部のインド派細密画諸派の衰勢に反し、現在も強く残っている。ラージプート精神は現在もあらゆる面に反映し、その騎士道的性格は、インド人の心の支えになっているようにさえ思える。<荒松雄他『変貌するインド亜大陸』世界の歴史 24 1978 講談社 p.68>