インド=イスラーム文化
イスラーム教を受容したインドのムガル帝国のもとで形成、発展した文化。イスラーム文化とインドのヒンドゥー文化を融合させた。タージマハールの建築、ミニアチュール絵画などに見られる。
13世紀のデリー=スルタン朝以来、イスラーム教がインドに受容され、ヒンドゥー教の文化と融合して形成され、ムガル帝国のもとで繁栄した文化。それまでのインドでの外来文化はヒンドゥー文化に同化されてきたが、イスラーム文化は消滅することなく、ヒンドゥー文化の要素を取り入れてインド=イスラーム文化として発展したところに特色がある。
征服王朝であるムガル帝国のイスラームの支配者の用いたペルシア語が、インドの口語に取り入れて作られたウルドゥー語は、インド=イスラーム文化の特徴的な事例である。
ムガル帝国でのインド=イスラーム文化
インド=イスラーム文化が特に発展したのは、16世紀のムガル帝国であった。ヒンドゥー様式を取り入れたイスラーム建築としてアクバル帝の新都ファテープル=シークリーの建物群、シャー=ジャハーンが建造したタージ=マハルなどが造られ、またインドの題材を取り入れたミニアチュール(細密画)が描かれた。征服王朝であるムガル帝国のイスラームの支配者の用いたペルシア語が、インドの口語に取り入れて作られたウルドゥー語は、インド=イスラーム文化の特徴的な事例である。
ムガル絵画とラージプート絵画
絵画では、16~19世紀のムガル帝国時代にイラン=イスラーム文化の影響を受けてミニアチュールから派生した、宮廷中心のムガル絵画が生まれたが、一方ではインド固有のヒンドゥー教の神々を題材にしたラージプート絵画も主として民衆の中で盛んになった。