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喜望峰

アフリカ大陸南端の岬で、ポルトガルのバルトロメウ=ディアスが1488年に到達し、インド洋への航路を発見した。

喜望峰 Google Map

 1488年ポルトガルバルトロメウ=ディアスがヨーロッパ人として初めて到達した、アフリカ大陸南端の岬。現在の南アフリカ共和国の首都ケープタウンから約50kmのところにあるが、最南端ではない。ディアスはこの岬を発見したが、嵐に悩まされていたので、「嵐の岬」と名付けたが、ポルトガルのジョアン2世はここから北東に向かえばインドに到達できると考え、「希望の岬」(Cabo da Boa Esperansca)と改めた。英語名が、Cape of Good Hope で、”良い希望の岬”の意味なので日本では「喜望峰」という。ディアスが喜望峰に到達したことは、大航海時代の開幕を象徴し、これ以降のヨーロッパ世界の大木は変化をもたらしただけでなく、アフリカとアジアにとって大きな転機となる出来事であった。

Episode 「嵐の岬」から「喜望峰」へ

 1488年、アフリカを東に見ながら南下し続けたバルトロメウ=ディアスの船団は、嵐の中を吹き流され、気がついたときにはアフリカ大陸の陸地が西に見えるところまで来ていた。そこで初めて大陸の南端を越えたことを知ったが、船団は疲れ果て、おまけに補給船とはぐれてしまって食糧難が始まっていた。乗組員は反乱を起こす一歩まであったので、ディアスはやむなく引き返すことにした。その帰りに大陸から大きく張り出している岬に上陸し、ディアスは彼が遭遇した荒天にちなんで「嵐の岬」(カボ・トルメントソ)となづけ、記念の石柱を立てて、16ヶ月にわたる航海をおえてポルトガルに帰った。国王ジョアン2世は自ら長年追求して来た願望の成就を見越して「嵐の岬」を「喜望峰」(カボ・ダ・ボア・エスペランサ)という人を鼓舞する、そして永続性のある名に改めた。<ペンローズ『大航海時代』荒尾克己訳 筑摩書房 p.59>
 大航海時代の先鞭を付けたポルトガルは、インド航路開拓に力を注ぎ、1498年にようやくヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到達して、インド航路を開拓した。
 その後、ポルトガル人はインド航路の寄港地とするため、喜望峰の近くに入植したが、その維持が困難であったため放棄し、1652年に、オランダがオランダ東インド会社のジャワ島や日本への補給基地としてケープタウンを建設し、ケープ植民地とした。
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