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アメリカ大陸

15世紀末のコロンブス以来、ヨーロッパ人が到達した大西洋の対岸にある土地は、アメリゴ=ヴェスプッチによって「新大陸」であると証明され、その名によって1507年に「アメリカ大陸」といわれるようになった。

 1507年、ドイツの地理学者でロレーヌ地方のストラスブール大学の教授であったマルティン=ヴァルトゼーミュラーは、サン・ディエ修道院でプトレマイオスの『世界地理入門』を刊行、その中でアメリゴ=ヴェスプッチの『四度の航海』のラテン語版とそれによった世界地図を取り入れた。その地図にはじめて、新大陸を書き込み、1497年に最初に新大陸に到達したというアメリゴのラテン名アメリカスにちなんで「アメリカ」と命名することを提唱した。スペインは正式には「インディアス大陸」としていたが、このアメリカの方がまたたくまに普及してしまった。
 『世界地理入門』(宇宙誌)では「この大陸を、才知あふれる発見者アメリクス(アメリゴのラテン語形)にちなみ、アメリゲもしくはアメリカと名付ける」と言っている。アメリカはアメリゴの女性形。女性形としたのは、ヨーロッパ、アジアがいずれも(ギリシア神話に出てくる)女性形なのでそれに合わせた。アメリゲというのはアメリ(クス)にギリシア語で土地を意味する「ゲ」を付けたもの。なそ、この文は同書の編者のひとりマティアス=リングマンで、ヴァルトゼーミュラーは地図を作成し、その地図の新大陸の南部にアメリカと書き込んだだけである。<篠原愛人『アメリゴ=ヴェスプッチ』2012 清水書院 人と思想シリーズ p.178>

アメリゴ=ヴェスプッチの「発見」

 アメリゴ=ヴェスプッチはコロンブスと同時代の人でフィレンツェに生まれ、スペインに渡ってセビーリャで航海術を身につけ、スペイン王やポルトガル王によって行われた新航路開拓のための航海に参加した。1500年代初めに彼の公開書簡という形で『四度の航海』および『新世界』が刊行され、彼は4度の航海を行い、コロンブスに先立ってアメリカ大陸に到達したと書き、その地はアジアとは異なる新大陸であるとして詳細な報告を行った。それにもとづいて書かれたのが1507年の『世界地理入門』(世界誌、宇宙誌入門ともいう)であった。しかし、当初からこの報告には疑問が持たれており、新大陸にアメリカという名が付けられたことには批判的な見方が多かった。詳しくはアメリゴ=ヴェスプッチの項を参考。

Episode 「アメリカ」の命名の疑惑

 新大陸が「アメリカ大陸」と呼ばれるようになったのは上述の通りであるが、アメリゴ=ヴェスプッチの主張は疑問視されている。アメリゴは1497年に新大陸を最初に探検したのは自分だといい、それはコロンブスが大陸そのものに達した第3回の航海の1498年よりも早かったと主張したのだが、どうやらアメリゴが大陸を探検したのは1499年のことであったらしい。従って新大陸への最初の到達者はやはりコロンブスと言うことになる。ヴァルトゼーミュラーも誤りに気づき、1513年に出版した世界地図では、この大陸を「未知の大陸」(テラ・インコグニダ)と表記した。しかし、「アメリカ」という地名は一人歩きし、消えることがなかった。一方コロンブスは、生涯この地を新大陸とは考えなかったので、その名を大陸の名前に残すことはなかった。わずかに南米大陸の一部、コロンビアがその名をとどめているだけである。<21世紀研究会編『地名の世界地図』文春新書 2000年 などによる>

アメリカ合衆国の名称

 1507年にウァルトゼーミュラーの世界地図が、発見者のアメリゴ=ヴェスプッチの名前に因み「アメリカ」としたのは、南北大陸のうちの南の大陸についてであり、大陸全体を言うときはインディアスが正式な地名であった。アメリカは現在の南米大陸を指す地名に過ぎなかったが、時間が経つにつれて、その語感の良さからか、ヨーロッパでは北米大陸もアメリカと言われるようになった。1776年独立宣言では、表題が「アメリカ合衆国13州一致の宣言」とされ、1777年連合規約の第1条で「連合の名称を『アメリカ合衆国』と定める」と規定された。 → アメリカ合衆国
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