アメリカ独立宣言
1776年7月4日、大陸会議で採択された。アメリカ合衆国の独立と自由・平等などの基本的人権、人民の革命権などを掲げ、近代市民社会の原則を樹立した。
アメリカ独立宣言の署名
アメリカ独立戦争の二年目にあたる1776年7月2日の第2回大陸会議総会で13植民地の全会一致で決議された。(議員個人の中には反対もいた。)7月4日に再確認(正式に採択)、8日にフィラデルフィア市民に正式発表、翌日ニューヨークのワシントン軍の前で朗読された。
図は独立宣言への署名の場面。机の前に立っている人びとは、右からベンジャミン=フランクリン、トマス=ジェファソン、二人おいて左端がジョン=アダムズ。(ジョン=トランブル原画)
アメリカ独立宣言は、それまでのイギリスの圧政、悪政を告発し、平等、自由、幸福の追求などの基本的人権と圧政に対する革命権を認め、高らかに宣言したもので、アメリカ内部の王党派や、独立に反対する保守派に対して独立戦争の正当性を訴え、結束を強める目的を持っていた。アメリカ独立宣言に盛り込まれた抵抗権・革命権の思想は、17世紀後半のイギリスの思想家ロックにさかのぼる。この人民主権の理念は、独立後に制定されたアメリカ合衆国憲法に継承される。 → アメリカ合衆国
ところで、アメリカ独立宣言が印刷された紙は、どんな(何でできた)紙だったと思われるでしょうか。 → 紙及び、ベンジャミン=フランクリンの項を参照して下さい。
独立宣言に欠けていたこと
独立を達成したアメリカ合衆国の市民とは、ヨーロッパからの白人入植者のことであった。そこには、先住民であるインディアンと、奴隷としてアフリカから連れてこられていた黒人の人権は認められておらず、黒人奴隷も依然として残されていた。Episode 独立記念日は7月4日?
7月4日は第2回大陸会議(フィラデルフィア)で、アメリカ独立宣言が正式採択された日で、現在のアメリカの独立記念日とされている。2007年センターテストの問題文にこのような文があったので引用する。「アメリカ合衆国の建国は、様々な神話に彩られている。例えばジョージ=ワシントンの依頼で、ベッツィ=ロスという女性がアメリカ合衆国の国旗である星条旗を作ったという話は、独立から百年近くたって語られ始め、やがて広く信じられるようになった伝説とされる。また今日、国立公文書館に収められている独立宣言書も、独立記念日となった7月4日に作られてはおらず、翌月に入ってから文書への署名がなされた。しかし独立宣言50周年の7月4日に元大統領のアダムズとジェファソンがともに死去し、この日付はさらなる神聖さを獲得したのである。モンロー大統領も後に、独立宣言55周年の7月4日死去している。」 → 星条旗
アメリカ独立宣言の内容
構成:アメリカ独立宣言は大きく三つの部分から成っており、最初の部分ではロックなどの社会契約説を論拠にして独立の正当性を主張し、中間ではイギリス国王(ジョージ3世)の殖民地に対する悪政を列挙して批判し、最後の部分でイギリス国王への忠誠の拒絶と独立を宣言している。要点:平等、自由、幸福の追求などの基本的人権と圧政に対する革命権を認めたこと。また、アメリカ独立に至ったイギリスの圧政について告発している。
ジェファソンが組み立てた「アメリカ革命」の理論は次の三つの特色があった。
- 万人は平等につくられ、また、生命、自由および幸福追求を含む不可譲の権利を、創造主から与えられている。
- これらの権利を保全するためにこそ政府が設立されるのであり、政府の正当なる権力は統治される者の同意にその根拠を有する。
- どんな形の政府にせよ、いやしくも政府がこの目的を破壊するようになれば、かくのごとき政府を変え、またはそれを廃止して、人民の安全と幸福とをもっともよく実現すると思われる原理に基礎を置く‥‥新政府を樹立することは、人民の権利である。
資料:独立宣言の主要部分
(引用)われわれは、次のような真理をごく当たり前のことだと考えている。つまり、すべての人間は神によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられており、その権利のなかには生命、自由、幸福の追求が含まれている。 またこれらの権利を確保するために、人びとの間に政府を作り、その政府には被治者の合意の下で正当な権力が授けられる。そして、いかなる政府といえどもその目的を踏みにじるときには、政府を改廃して新たな政府を設立し、人民の安全と幸福を実現するのにもっともふさわしい原理にもとづいて政府の依って立つ基盤を作り直し、またもっともふさわしい形に権力のありかを作り変えるのは、人民の権利である。
もっとも、じっさいには、分別を働かしさえすれば、長年続いてきた政府をたいした理由でもなかったり、あるいは一時的な理由から改廃すべきでないというのは、容易にわかることである。したがって、これまでの歴史は、人類には慣れ親しんできた政府を廃止して政府自体を作り直すことよりも、その弊害が耐えられるのであればそれを苦しんでも耐える傾向にあったことを示している。
しかしながち、権力の乱用や略奪が長く続き、人民を絶対的な専制の下に落としめようとする企てが絶えまなくみられる場合には、人民は権利ばかりでなく義務としても、そのような政府を転覆し将来の安全を確保するために新しい警護者を見つけなければならない。アメリカの植民地は、まさにそうした事態を耐え忍んできたのであり、いまや植民地が従来の政府機構を改変しなければならなくなっているのも、以上述べてきた理由によるものである。下略(五十嵐敬士訳)<大下尚一他編『史料が語るアメリカ』1989 有斐閣 p.35~>