ハドソン湾地方
1610年、イギリス人ハドソンが探検。後に毛皮交易が盛んになる。1713年、ユトレヒト条約でフランス領からイギリス領となるカナダの一部を構成する。
1610年、アメリカ大陸の北部にアジアへの航路(いわゆる北西航路)があると信じたイギリスの探検者ハドソンがハドソン湾を発見したが、氷に閉ざされて絶命し、航路の発見には失敗した。その後、ハドソン湾地方はヨーロッパからの進出がなかったが、次第に毛皮の豊富な産地であることが判明して、イギリスやフランスの毛皮商人が進出し、現地人との取引が盛んになった。イギリスはハドソン湾会社を設立して、その貿易の独占を図ったが、フランス人毛皮商は内陸深くまで活動し、実質的にフランスの勢力圏となった。
英仏の抗争
しかし、スペイン継承戦争と並行して起こったアン女王戦争の結果、1713年に締結されたユトレヒト条約で、ニューファンドランド、アカディア(ノヴァスコシア)と並んでイギリス領とされた。