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毛皮

ロシアの森林産の重要な交易品となった。近代ではカナダでも主要な交易品となった。

 現在のロシア北部に進出したスウェーデン系ヴァイキングのルーシは、森林の小動物を捉え、その毛皮を商品として交易を行った。毛皮とはクロテン(黒貂)、テン、オコジョ、リス、カワウソ、キツネなどのもので、中でもクロテンの毛皮は最高級品として高価だった。クロテンの毛皮はロシアでは後にも貨幣と同等に扱われたという。ノヴゴロドは毛皮の集積地として栄え、さらにドニェプル川中流のキエフは毛皮の中継基地だった。
 9世紀ごろには、ロシアのクロテンの毛皮はバルト海からヨーロッパに運ばれ(フランク王国のカール大帝もクロテンの毛皮を着ていたという)、一方では黒海を経てコンスタンティノープルへ、さらにムスリム商人の手で、バグダードにも運ばれた。イスラーム世界でも毛皮は絹と並んで富と地位の象徴として珍重されたという。イスラーム世界とロシアが交易関係にあったことは、現在でもバルト海沿岸から大量のアラブ銀貨が発掘されているので明らかになっている。琥珀はバルト海沿岸の特産で、イスラーム世界にもたらされていた。

ロシアのシベリア進出

 毛皮はこのようにロシアの重要な国際商品だったので、次のモスクワ大公国イヴァン4世(雷帝)の時のイェルマークの遠征に代表されるような積極的なシベリア進出を行った。またロマノフ朝のピョートル1世時代に清朝とのあいだに国境紛争が起きネルチンスク条約を締結したが、それもクロテンを追って毛皮商人がシベリアの東端に達したために起こったことであった。ロシア以外にも、女真もシベリア東南部で毛皮を重要な産物としていた。

カナダの毛皮

 北米大陸ではフランスによるカナダの開拓の先頭に立ったのは毛皮商人であった。カナダの毛皮商人の活動は、現住民インディアンの生活基盤を圧迫し、さらに北米大陸の資源を巡るイギリスとの対立を生み出すことになる。
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