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ブーシェ

18世紀、フランスのロココ絵画の代表的画家。ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の庇護を受け、多くの作品を残した。

ブーシェ ヴィーナスの化粧

ブーシェ ヴィーナスの化粧

フランソワ=ブーシェ Franşois Boucher 1703-1770 はフランスの画家で、18世紀のロココ美術を代表し、宮廷画家として多くの作品を残した。特に、保護者であったポンパドゥール夫人を描いた肖像画は、繊細で優美、かつ華麗な宮廷風俗を余すところなく描いており、時代の雰囲気をよく伝えている。題材はポンパドゥール夫人の肖像画の他に、ヴィーナスの様々な姿態を描くことで、女性の美しさを表現した作品がほとんどである。
 ブーシェは、ワトーの影響を受け、その作風を学びながら、ロココ美術といわれる様式を確立させ、それは、弟子のフラゴナールらに継承された。しかし、1770年の彼の死によって、ロココ美術から次の古典主義美術(新古典主義とも言われる)への移行が始まったとも考えられている。

Epsode ヴィーナスを描きながら死んだ?ブーシェ

 代表的なロココの画家フランソワ・ブーシェは、生涯にわたってヴィーナスを描き続けた。飯塚氏は著書『ロココの時代』で、彼のヴィーナス像とは、古代神話に名を借りたパリの小粋な若い女性や宮廷の多感な奥さまのヌードをそのままキャンバスに載せたものだった、と言っている。
(引用)ブーシェは、ヴィーナス像を描いている最中に死んだ、という伝説がある。もっともらしい話なら、すべて真実としてまかり通る時代だったから、この伝説もわざわざこわす必要はないのだが、ブーシェを高く評価したゴンクール兄弟(フランスの文学者)がその『十八世紀の美術』(1875年)の中でことわっている通り、このロココの代表画家が死んだのは1770年5月30日、午前5時のことだった。とても、画架を前にしている時間帯ではない。<飯塚信雄『ロココの時代-官能の十八世紀』1986 新潮選書 p.44>

ブーシェとポンパドゥール夫人

(引用)ヴィーナス画家ブーシェは、実は、もう一人のヴィーナスの恩寵に恵まれていた。ポンパドゥール侯爵夫人(1721~64)がそれである。パリの上流市民階級の出ではあったが、展性の美貌と才気を武器として自分から積極的にフランス王ルイ15世に近づき、ついにその公式愛妾としてヴェルサイユ宮に入ったのは、1745年、彼女が24歳の時だった。ブーシェはすでにそれ以前からフランス画壇に重きをなしていた。<飯塚信雄『前掲書』p.52>
 ポンパドゥール夫人は実弟のアベル・ポワソンが王室建造物管理庁長官に就任してからブーシェとの親交を深め、芸術上のブレーンとして重用しだしたらしい。ブーシェは公爵夫人にデッサンと版画の個人教授を始めた。ブーヴェはポンパドゥール公爵夫人によってセーヴル陶磁器工場とボーヴェーのゴブラン織工場のデザイン担当理事となったほか、宮廷劇場の舞台デザインから舞台衣装、各種の室内装飾、公爵夫人のドレスやアクセサリー類のデザインまで一手に引き受けた。

ブーシェの死とロココの終わり

 1764年にポンパドゥール夫人が病死し、ブーシェ自身も病に倒れた。彼が亡くなる1770年までのあいだ、ブーシェへの非難が単に絵画の手法についてだけでなく、彼の絵画そのものと人格を対象に激しさを増していった。
 ブーシェの絵画とその人物に対する非難は、画面の人物像があまりにも気取りすぎている、色彩がけばけばしい、光を散らしすぎている、印影とのコントラストが十分ではない、女性たちは端麗ではあるが、見る人を美的に感動させる魅力に欠けている、上品というより色っぽいだけだ・・・などというものだった。中でもディドロの批判は、その芸術に対する見識からくるもので手厳しかった。ディドロは批評家としての信条として、芸術家は人間にとって有益な美の使徒でなければならぬと考えており、美とは、美しいと感じさせるだけでなく、善への働きかけを持っているものでなければ無意味だと考えていた。この道徳的真実と道徳感情を社会に普及させるという実用的使命を造形美術は担っている、というディドロの考えに従えば、ブーシェの芸術と人格が全面的に非難されるの当然であったろう。かれの死後、その画風はフラゴナールらに継承され、なおも光を放っていたが、1774年にはルイ15世が亡くなったことでロココの時代は実質的に終わりを迎えた。<飯塚信雄『ロココの時代-官能の十八世紀』1986 新潮選書 p.77-78>
 ブーシェが亡くなった1770年は、世界史的に見れば産業革命の本格的な開始の年であり、新しいブルジョワジーの台頭が始まった年とも言える。まもなくアメリカ大陸では独立戦争が始まる。フランスでは、アンシャン=レジームの行きづまりが表面化するとともに、芸術ではロココ風の貴族趣味は次第に時代に馴染まないものとなっていった。変わって台頭するのが、フランス革命とともに登場するダヴィドやアングルなの新古典主義の美術であった。そこではロココ的な軽薄さ、華麗さは亡くなり、構成的な画面での重厚な表現、題材の道徳性、歴史性が重んじられることになる。
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書籍案内

飯塚信雄
『ロココの時代
―官能の十八世紀』
1986 新潮選書