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バッハ

18世紀前半のドイツの音楽家・作曲家。バロック音楽の作曲家とされるが、次の古典派音楽にも大きな影響を与え「近代音楽の父」とも位置づけられている。『マタイ受難曲』・『ロ短調ミサ曲』などの宗教曲、『ブランデンブルク協奏曲』・『平均律クラヴィーア曲集』・『無伴奏チェロ組曲』などの多くの作品を残した。

 ヨハン=セバスチャン=バッハ Johann-Sebastian Bach(1685~1750)は、音楽一家として有名な家に生まれ、その中でも最も知られている大作曲家となったので「大バッハ」ともいわれている。アイゼナハに生まれ、両親は幼児になくしたがすでに音楽家であった兄に教育されてリューネブルクの聖ミハエル教会のオルガニストとなった。ヴァイマルやケーテンの宮廷楽士長を務めた後、ライプツィヒの聖トマス教会合唱隊と同市の音楽監督に就任した。俗に、後のベートーベン、ブラームスとともにドイツ音楽の三大Bの一人とされている。二人の妻との間に20人の子がおり、そのうち、長男ヴィルヘルム、次男エマヌエル、末子クリスチャンも作曲家として活躍した。
 当時のドイツはまだ近代的統一国家になる前の段階で多くの諸侯に分かれていたが、その中でプロイセン王国(1701年に公国から王国に昇格)がフリードリヒ=ヴィルヘルム1世(在位1714~1740)のもとで軍備の拡張を進めていた。バッハの活動拠点であったライプツィヒは、中部ドイツのザクセンの中心都市で、商業が盛んであるとともに、宗教改革でルターがカトリック教会のエックと「ライプツィヒ討論」を行った場所であり、聖トマス教会はプロテスタントの拠点の一つであった。

バロック音楽を大成

 生前は作曲家としてよりオルガニストとして知られていたので、その作品は死後、忘れ去られていたが、19世紀にドイツが国家としても統一を完成し、ドイツ音楽の発掘が盛んになったために脚光を浴びるようになった。彼の活躍した時代は一般にバロック音楽の時代であったが、バッハはバロックの概念を越えて、次の古典派音楽につながる作曲家と位置づけられ、「近代音楽の父」と言われている。
 その作品は、プロテスタンティズムに基づいた厳格な教会音楽という性格が強いが、対位法などを駆使した純音楽的な音楽の質は、教会から独立した演奏会用音楽としても、現在においても十分な深さと強さを持っている。『マタイ受難曲』や『ロ短調ミサ曲』『ブランデンブルク協奏曲』など大がかりな合奏用作品の他に、『平均律クラヴィーア曲集』や『無伴奏チェロ組曲』などの器楽曲、軽妙なカンタータなども多数作曲している。『コーヒーカンタータ』ではライプツィヒでのコーヒーの流行を題材にしている。
 バッハの音楽には、次の古典派音楽の主要なジャンルとなる交響楽(シンフォニー)や歌劇(オペラ)は無く、音声を伴う者はカンタータやオラトリオという形式を採っていた。