権利章典(アメリカ)/憲法修正1条~10条
1791年、アメリカ合衆国憲法の修正として加えられた人権条項。信教・言論出版の自由、集会・結社の自由など基本的人権を規定した。これによって憲法は政治権力を抑止し、国民の人権を守るためのものであることを明確にした。
アメリカ合衆国では、1787年にアメリカ合衆国憲法を制定し、9邦の批准を得て1788年6月21日に発効した。それは基本的人権などの人権条項については具体的規定を欠いていた。それに対する批判も強かったため、翌年発足したアメリカ連邦議会は第1回会議で協議し、憲法修正第1条から10条を「権利章典」として制定し、憲法に加え1791年12月15日に発効させた。これによって連邦政府の権力が個人の自由を制限する危険性を排除し、憲法によって連邦政府の権力を抑止することができるようになった。権利章典の制定には、ジェームズ=マディソン(後に第4代大統領)が尽力したので、マディソンは「憲法の父」、「権利章典の父」と言われている。また、1789年にフランス革命が勃発し、8月にフランス人権宣言が出されたことが直接的な誘因であった。
1787年7月までになんとか憲法は承認され、1789年にワシントン政権が成立したものの、最初に開催された第1回アメリカ連邦議会で早くもこの問題が取り上げられ、議会ではマディソンを中心に憲法修正案の討議に入り、1条から10条までの修正案が議決され、13州の批准を終えて、憲法修正条項として確定、1791年12月15日に発効した。
憲法修正1条:国教樹立を禁止し、信教・言論出版の自由、集会・結社の自由、請願権の保障など。
憲法修正2条:人民が武器を保有し携帯する権利を保障。(連邦政府の権力濫用に対して州政府が武装して自己の権利を守ることを認める趣旨と解釈されるが、同時に個人の銃所有を認めたものと拡大解釈される余地がある。)
憲法修正3条:個人の住居に軍隊が無断で舎営することを禁止する。
憲法修正4条:不当逮捕、不当捜査などを禁止し、それらは令状によって行うこと。
憲法修正5条:大陪審の告発、起訴なしには犯罪の責任を問われないことなど司法上の諸権利の保障
憲法修正6条:陪審裁判、公開裁判の原則と刑事裁判上の諸権利の保障
憲法修正7条:民事裁判上の諸権利の保障
憲法修正8条:過大な保釈金、残虐な刑罰の禁止(死刑がそれに当たるかどうかは以後も争われている)
憲法修正9条:連邦政府による人権侵害を防止するため、修正1条~8条以外にも権利を保有していることを確認
憲法修正10条:連邦政府に付与されていない権限は各州または国民自身に留保されていることを確認
憲法修正1条~10条の成立
立憲君主国であるイギリスには、マグナ=カルタに始まり、1688年の権利の章典に至る、憲法によって国家権力(君主)の横暴を抑止するという原則があったが、共和国として発足しアメリカ合衆国の憲法には、国民の選挙による大統領制や三権分立、州権主義などが柱とされ、政治権力を抑止して人権を保障するという条項を欠いていた。ハミルトンらの連邦派(フェデラリスト)によって主導された憲法案に対して、幾つかの州が反対して批准が遅れたのは、そのような「権利の章典」にあたる人権条項がないと言うことが理由に挙げられていた。また、民衆の中にも、憲法に人権条項を加えるべきであるという声が高まっていった。1787年7月までになんとか憲法は承認され、1789年にワシントン政権が成立したものの、最初に開催された第1回アメリカ連邦議会で早くもこの問題が取り上げられ、議会ではマディソンを中心に憲法修正案の討議に入り、1条から10条までの修正案が議決され、13州の批准を終えて、憲法修正条項として確定、1791年12月15日に発効した。
アメリカ版「権利の章典」
それによって、アメリカ合衆国憲法は、政治権力を縛り、権力の濫用から国民を守るための憲法という近代憲法の基本的性格をもつに至った。以下、その条項は多岐にわたるが、重要なのは1条・4条であり、国民の基本的人権を保障し、権力の暴走を抑止する規定とされている。しかし、2条や8条、9条などはその解釈をめぐって現在もしばしば裁判がおこされている。各条の要点は以下の通りである。<大下尚一他『アメリカハンディ辞典』p.56~60>憲法修正1条:国教樹立を禁止し、信教・言論出版の自由、集会・結社の自由、請願権の保障など。
憲法修正2条:人民が武器を保有し携帯する権利を保障。(連邦政府の権力濫用に対して州政府が武装して自己の権利を守ることを認める趣旨と解釈されるが、同時に個人の銃所有を認めたものと拡大解釈される余地がある。)
憲法修正3条:個人の住居に軍隊が無断で舎営することを禁止する。
憲法修正4条:不当逮捕、不当捜査などを禁止し、それらは令状によって行うこと。
憲法修正5条:大陪審の告発、起訴なしには犯罪の責任を問われないことなど司法上の諸権利の保障
憲法修正6条:陪審裁判、公開裁判の原則と刑事裁判上の諸権利の保障
憲法修正7条:民事裁判上の諸権利の保障
憲法修正8条:過大な保釈金、残虐な刑罰の禁止(死刑がそれに当たるかどうかは以後も争われている)
憲法修正9条:連邦政府による人権侵害を防止するため、修正1条~8条以外にも権利を保有していることを確認
憲法修正10条:連邦政府に付与されていない権限は各州または国民自身に留保されていることを確認
「権利の章典」の意義と問題点
(引用)合衆国憲法は、第一回連邦議会が批判にこたえて、「権利章典」として知られる一連の修正条項を制定してから、社会全体にとっていっそう受けいれやすいものとなった。この修正条項は、新政府を国民の自由――つまり、言論、出版、信仰、請願、集会の自由、公平な裁判を受ける自由、官憲の侵入から家を安全に守る自由――を守る保護者に仕立てるように思われた。(中略)ハワード=ジンの指摘のとおり「憲法修正第1条は、一見したところ保護の石壁のようにみえるが、実際には石壁よりはるかに保護力の弱いものになっている」<同上書 p.168>と言える。制定当時、「自由という言葉が新しく、その現実味がテストされていなかった」<同上書 p.167>のだった。事実、現在にたるまで言論や出版の自由は完全に保障されているとは限らない。しかし、アメリカ合衆国憲法修正1条が、市民の人権を保障し、国家権力を抑制する条文として生きていることは知っておくべきことであろう。
1791年に連邦議会を通過したこの第一条は「連邦議会は言論・出版の自由を奪う法律をつくってはならない……」と規定した。にもかかわらず、修正第1条が憲法の一部となってから7年後に、連邦議会は、きわめて明白に言論の自由を奪う法律を制定した。1798年の治安法がこれだ。これは当時フランス革命とアイルランドの反乱が起こっていたため、合衆国にいるアイルランド人とフランス人が危険な革命家とみなされた時代に、ジョン=アダムズ政権のもとで制定されたものだ。治安法は、「政府、連邦議会、もしくは大統領」に対して、名誉を毀損したり、悪評を流したり、もしくは民衆の憎悪をかき立てる意図をもって、「虚偽のこと、中傷にあたること、悪意のあること」を国ちにしまた書くことを犯罪とした。<ハワード=ジン/富田虎男訳『民衆のアメリカ史』上 p.166-168>