空想的社会主義(初期社会主義)
19世紀初期に現れた初期社会主義に対し、19世紀中葉に登場したマルクスやエンゲルスが、資本主義社会の矛盾の解決には至らない理想論に過ぎないとして批判した言葉。
ロバート=オーウェン、サン=シモン、フーリェなど、19世紀初頭の産業革命期に、資本主義社会の改革をめざし、労働者の状態の向上をめざす思想が登場した。それらは、産業革命によって生まれた労働者の貧困や社会のゆがみを直視し、その解決を模索する中から生まれ、オーウェンの労働組合や協同組合論、サン=シモンの産業社会の構想、フーリエの協同体(ファランジェ)など社会改良の道筋を提示した。それらは、イギリスやフランスの政治にも取り入れられ、資本主義の自由競争に一定の歯止めをかけ、社会保障や、社会政策などが実現するうえで重要な役割をはたした。近代の社会主義という一つの大きな政治勢力の初期的な段階となったものであるので、初期社会主義と位置づけけられるべきである。
その立場から、マルクスとエンゲルスは、初期社会主義のオーウェンやサン=シモン、フーリエらを、資本家と労働者の協力や、社会改良という生ぬるい手段で実現しようとするもので、資本主義の本質を見誤った「空想」であり、ユートピアに過ぎないと厳しく批判し「空想的社会主義」と名づけたのだった。
また、彼らの思想は、資本主義社会の展開の中で、労働者や消費者の権利を守るための、労働組合や協同組合などの社会主義運動に継承された。
マルクスらの批判
次の19世紀中頃になると、資本主義社会の形成が進む中、産業資本は次第に巨大になり、労働者の賃金や労働時間などはますます厳しくなって、その対立は深刻になった。そのような状況の中で、資本と労働の関係を歴史的、経済学的に分析したマルクスとエンゲルスは、資本主義社会を資本家階級と労働者階級の階級的矛盾ととらえ、労働者は本質的に搾取され、疎外されている(人間的に存在できなくなっている)として、その解放のためには「革命」という手段が必要であると主張した。彼らは自らの社会主義を、資本主義の克服への道筋を科学的に明らかにし、労働者の解放を実現する手段を提示したという意味で、「科学的社会主義」と規定した。その立場から、マルクスとエンゲルスは、初期社会主義のオーウェンやサン=シモン、フーリエらを、資本家と労働者の協力や、社会改良という生ぬるい手段で実現しようとするもので、資本主義の本質を見誤った「空想」であり、ユートピアに過ぎないと厳しく批判し「空想的社会主義」と名づけたのだった。
マルクス主義への影響
マルクスとエンゲルスは、オーウェンやサン=シモン、フーリエらをいずれもブルジョアジーの立場からの上からの改良に止まり、社会改革の理念と手段とを持たなかったという意味で、「空想的社会主義」と批判したわけであるが、それらを否定したわけではなかった。マルクスらが提唱した「マルクス主義」とも言われる「科学的社会主義」の「科学的」という意味は、批判と反批判をかさねて、より高い段階に発展させるという弁証法的な手法を言うのであって、その点で初期社会主義は一定の評価のもとで、あえて批判の対象とされたのであり、ヘーゲルなどのドイツ弁証法哲学、アダム=スミスらの古典派経済学とともに、マルクス主義の三つの源流の一つとされている。また、彼らの思想は、資本主義社会の展開の中で、労働者や消費者の権利を守るための、労働組合や協同組合などの社会主義運動に継承された。