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フーリエ

19世紀初頭、フランスの初期社会主義者。一種の産業協同組合としてファランジュを構想した。

 フーリエ Fourier François Marie Charles 1772-1837 はブザンソンの毛織物業者の家に生まれ、9歳で父を亡くして財産を相続したが、フランス革命で財産を失った。この経験から、革命後のブルジョア社会を投機と利益追求に走るものとして批判、また産業革命によって生み出された労働者の労働も無味乾燥なものとなって人間性が失われていると指摘した。

ファランジュの構想

 フーリエは、フランス革命後のフランス社会を、「文明のもたらした悪」とらえ、本来自由に、自らの意志で働いていた人間が、無味乾燥な義務としての労働を強いられているとして批判し、1828年に『産業的協同組合的新世界』を著し、自らも2000人程度の「協同体」(ファランジュという)をつくり、構成員が農業中心に生産と消費を行うという社会を作ろうとした。それは一種のユートピア、理想郷をつくろうという運動であったが、失敗に終わり実現することはできず、晩年は困窮の中で死んだ。
初期社会主義 フーリエは、フランスのサン=シモン、イギリスのロバート=オーウェンとともに、次の世代のマルクスエンゲルスによって空想的社会主義と批判されたが、マルクス自身もフーリエの思想は資本主義の矛盾を指摘した科学的社会主義の一つの源流となった、と評価しており、正しくは初期社会主義というべきである。特にフランスにおける社会主義運動、協同組合運動には大きな影響を与えた。その主著には『四運動および一般的運命の理論』(1808年)もある。また次の世代の社会主義指導下で無政府主義を掲げた革命家の一人プルードンは、同じブザンソンの出身で、フーリエの強い影響を受けている。
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