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サン=シモン

フランスの初期社会主義者。経営者・労働者一体となった産業社会を構想し、ナポレオン3世時代の経済政策に影響を与えた。

 サン=シモン Saint-Simomm,Claude Henri de Rouvroy 1760-1825 はフランスの貴族の出であるがアメリカ独立戦争にも参加した自由主義者として出発し、ナポレオン戦争時代には独自のヨーロッパ連合の構想や産業社会の到来を予測した。労働者の解放は階級闘争に依ってではなく、ブルジョアジーの助力によって実現できると考えた。サン=シモンの思想は、イギリスのロバート=オーウェンや、フランスのフーリエらとともにカール=マルクスによって空想的社会主義として批判されたため、「空想的」という否定的な評価が先行しているが、その産業社会論はルイ=ナポレオンに影響を与え、1850~60年代のナポレオン3世の第二帝政ではその思想に基づいてフランスの産業革命が推進された。最近では現代の産業社会、消費資本主義を予見した思想として社会主義運動につながるものとして再評価されている。

Episode シュルルマーニュ、夢枕に立つ

 サン=シモンはその叔父が『回想録』で名高いサン=シモン公爵で、シャルルマーニュ(カール大帝)の後裔であると自称していた。彼は1760年にパリで生まれ、青年期には行動の情熱に取りつかれてアメリカ独立戦争に参加したが、フランス革命の時期には逆に行動への情熱を失い、土地投機に狂奔して、恐怖政治時代にはリュクサンブール宮殿に投獄され、あわや処刑されそうになった。そのときシュルルマーニュが夢枕に現れて「我が子よ、哲学者としてのおまえの成功は、軍人・政治家としての私の成功に匹敵するであろう」と告げたという。そのとき以来、社会改革者となることを自覚し、猛勉強をはじめ、エコール=ポリテクニークの教授を土地投機で得た資金で造ったサロンに招き、ニュートンの一般法則の影響を受けて社会に対しても実証的な研究を行うことが可能であると考えるようになった。サン=シモンの弟子が、実証主義哲学の創始者といわれるオーギュスト=コントである。<鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 -サン=シモンの鉄の夢』1992 小学館文庫 p.45-46>

サン=シモン主義

 サン=シモンは人類の歴史を総復習し、“現代社会は戦争や征服を目的としない、目的はただ一つ。生産、すなわち「産業」である”という結論に達した。その思想の要点は、
  1. すべての社会は産業に基礎をおく。産業はあらゆる富の源泉である。
  2. 政府は社会の代理人である。その唯一の役割は生産における自由と安全を維持することである。
  3. 社会を指導すべきは有益な事物の生産者、すなわち産業人である。
と要約できる。彼の想定した産業人(産業者)とは、企業家や経営者とは限らなかった。その下で働く労働者や、店員、さらに農業従事者では小作人も入る概念であり、貴族や上層ブルジョワジーとは区別される、生産者階級という意味であった。その思想においては資本家と労働者は対立する関係ではなく、互いのエゴイズムを抑制して互いに愛し合うことが必要であると説き、そのような精神を「新キリスト教」と名付けた。また貴族・上層ブルジョワジーから産業者が権力を奪うためには、革命や流血ではなく、よく制御された国王権力のもとで可能であると考えた。そのような思想は、サン=シモンの死(1825年)の後、後継者によって一種の宗教に祭り上げられ、アンファンタンらはサン=シモン教会を設立した。一方で宗教的活動ではなく、実際の社会改良にサン=シモン主義をあてはめようとする人びとも現れた。ナポレオン3世も若い頃サン=シモン主義の影響を受けており、その第二帝政ではクレディエ=モビリエ(銀行)を創設し鉄道事業を展開したペレール兄弟や、パリ万国博覧会を立案し、英仏通商条約を締結してフランスを自由貿易主義に転換させたシュヴァリエなど、サン=シモン主義者が登用された。<サン=シモンの著作としては『産業者の教理問答』森博訳 岩波文庫 2001 で読むことができる。なおここでの要約は、鹿島茂『絶景、パリ万国博覧会 -サン=シモンの鉄の夢』1992 小学館文庫 p.47 を参照した>

Episode サン=シモンの女性下着推奨

 2004年度センターテストの世界史A、第三問に次のような設問文があった。
「近年の服飾史研究は、社会的・文化的性差の問題に光を当てた。例えば、肌着の社会史的な意義も明らかにされている。フランスの18世紀後半の女性は、今日のショーツにあたる下ばきを着けておらず、胴はコルセットで締めつけていた。綿製の下ばきが19世紀半ばにイギリスから伝えられると、サン=シモンはその着用が女性に自由な立ち居振る舞いを許すことに注目し、これを推奨した。しかしその一般化は、産業革命によって綿製品が普及した後の19世紀末のことであった。一方、コルセットはフランス革命期に一時着けられなくなるとはいえ、その後も19世紀を通じて女性の身体を締め続けた。しかし20世紀初頭、多くの女性たちが働きやすさを求めたので、コルセットは廃れていった。」右図は問題の付図。
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書籍案内

鹿島茂
『絶景、パリ万国博覧会 -サン=シモンの鉄の夢』
1992 小学館文庫版