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科学的社会主義

19世紀後半、マルクス、エンゲルスによって創始された資本主義を克服をめざす思想。

 資本主義社会の矛盾を科学的に追求し、社会の変革をめざす思想。イギリスのロバート=オーウェン、フランスのサン=シモンフーリエなどの初期社会主義を空想的社会主義と批判し、ヘーゲルやフォイエルバッハなどドイツ哲学の弁証法を継承して観念論から唯物論を導き、アダム=スミスらのイギリス古典派経済学から経済学の手法を批判的に摂取して形成された。

マルクスとエンゲルス

 19世紀中葉に、資本主義勃興期のドイツで生まれたマルクスエンゲルスが、イギリスなど高度に発達した社会主義を分析することによって体系づけられた思想であり、現実の資本主義社会の矛盾を考察し、経済社会の数値的な分析をもとに、弁証法の思考で理論化を行い、労働者を搾取と人間的疎外からどうしたら解放することができるかという具体的な社会変革の道筋までを明示したので、かれら自身が「科学的社会主義」と称した。
 マルクスとエンゲルスは、資本主義社会は必然的に矛盾が強まり、労働者の革命によって社会主義を実現し、階級的搾取の機構である国家が解消される将来の社会を共産社会と考え、その実現を目指す共産党の結成を呼びかける、『共産党宣言』を1848年に発表した。『共産党宣言』は、資本主義社会を否定し、その社会主義段階への必然的な移行する道筋を示し、ウィーン体制下で抑圧されていた労働者階級に強く支持された。この年にフランスの二月革命、ドイツ・オーストリアでの三月革命と続く一連の1848年革命でも重要な指針となった。
 その後、マルクスとエンゲルスは、その理論と実践をかさねる中で、多くの著作が著したが、「科学的社会主義」を経済・国家・文化などあらゆる面から考察して体系化した著作がマルクスの『資本論』(第1部は1867に発表)である。

社会主義運動へ

 一般にその思想形成の中多くの著作で心的人物となったマルクスの名を冠して「マルクス主義」ともいわれるが、それは単なる思想に止まらず、資本主義社会の克服、現実の労働者の解放、をめざす革命運動を指導する理念でもあった。その理念に導かれた社会主義運動は、19世紀後半から20世紀に大きな潮流となり、資本主義の矛盾が進行して帝国主義による国家対立(戦争)が激化する中で最初の社会主義革命であるロシア革命(1917年)を実現した。
 ロシア革命によって生まれた世界最初の社会主義国家「ソ連」は、レーニンの指導したボリシェヴィキを主流とした共産党が担うようになったが、その後、革命の路線をめぐってさまざまに路線対立が現れ、ソ連ではスターリン主義が覇権を握る。アジアにおいては毛沢東が中国革命を達成するが、まもなくソ連と中国の二大社会主義国は深刻な中ソ対立という事態に陥り、混迷していく。そして20世紀末にはソ連型社会主義は硬直化し、東欧諸国の離反に続いてソ連自体が崩壊した。また中国も毛沢東の個人崇拝から文化大革命という混乱を経て共産党一党独裁のもと、市場経済原理が導入されるという変化を遂げた。

現代の社会主義素描

 広い意味で社会主義と言った場合、マルクス主義とは一線を画した、言わば初期社会主義の系列にあるイギリスの労働党に代表される系譜がある。また、早くからブルジョワ議会政治に妥協しながら漸進的に社会改革を図ろうとする修正主義と(批判的に)言われる勢力も生まれた。マルクスからレーニン・スターリンに至る暴力革命の否定を一つの特徴とし、議会制度の中で社会主義を実現し、資本主義経済を否定するのではなく、政策的に経済に関与して過度な市場主義をコントロールしていこうという政治勢力であり、「社会民主主義」と総称されることが多く、現在のドイツの社会民主党などがそうである。現在は共産党という党名であっても、実質的なその主張は社会民主主義となっていることが多い。
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