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クー=クラックス=クラン/KKK

南北戦争後のアメリカ合衆国南部で白人の至上主義を掲げ、黒人に対する暴力行為を組織的に行った秘密結社。一時衰えたが1920年代に復活して公然と活動し、現在も南部に伏流している。

 クー=クラックス=クラン Ku Klux Klan 略称がKKK は、アメリカ合衆国に存在する、反黒人を主な主張とする秘密結社。主な活動期は、南北戦争後の1860年代後半から70年代の南部諸州の復帰(再建)が進められた時期であったが、第一次世界大戦後のアメリカ合衆国の戦間期である1920年代に復活し猛威をふるった。いずれも黒人や黒人に理解を示す白人に対する集団的なテロを行い、恐れられた。現在も南部の一部にはその組織は残っていると言われている。

クー=クラックス=クランの誕生

 1865年に南北戦争が終わって一年もたたないころ、テネシー州プラスキーという田舎町で、戦争に敗れて故郷に帰ってきた南部同盟の若い復員兵6名は、戦争中の思い出を語りあったり、戦友どうしの交友を保つため、社交クラブをつくり、サークルを意味するギリシア語の「ククロス」とスコットランド高地人の一族を意味する「クラン」にちなんで、クー=クラックス=クランと命名した。しかし、解放奴隷と呼ばれた黒人や、北部から流れてきたならず者で南部は混乱状態になったため、この団体は彼らの家庭や妻子を守るための自警団に成り代わった。同時に戦争で失った南部の自主権を回復しようという目的をもつ秘密結社になったのである。彼らは共和党の南部再建計画に強く反対し、白人優越主義掲げ、白い頭巾で顔を隠し、白装束で、黒人を襲うようになった。夜間になるとまるで幽霊のような姿で現れる「クラン」を見て、迷信深い黒人たちは、南部同盟の戦死者の亡霊に違いないと信じて恐れた。・・・<青木冨貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』1996 岩波新書 p.30>

Episode 隠されたKKK

 アメリカの女性作家マーガレット=ミッチェルが1936年に発表した『風と共に去りぬ』は大ベストセラーとなった。大プランターの娘で何不自由なく育ったスカーレット=オハラが南北戦争の激動のあらしの中で翻弄されていく物語であるが、ミッチェルは、解放された黒人がいかに狂暴に白人を襲ったか、それに対して白人が自己防衛のためにクー=クラックス=クランがどれほど必要であったか、を執拗なまでに語っている。小説の中ではスカーレットが危うく黒人にレイプされそうになり、夫たちがその復讐で黒人居住区を襲撃する話が出てくるが、その夫や同調した白人たちがクー=クラックス=クラン団員なのだ。小説ではその名前も出ている。しかし、1939年に映画化されたとき、このエピソードは描かれたが、スカーレットを襲ったのは白人のならず者とされ、クー=クラックス=クランの名前も一切でてこなかった。映画だけを見たのではわからないが、『風と共に去りぬ』のクライマックスはクー=クラックス=クランの登場だった。<映画でKKKが隠された経緯については、青木冨貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』1996 岩波新書 p.76 に詳しい。> → 南部諸州の復帰(再建)の項を参照

1870年ごろのKKK

 南北戦争後の1860年代後半に、南部の黒人差別と共に現れたクー=クラックス=クラン(KKK)が組織され表だった活動を開始した。
「クー・クラックス・クラン」(KKK)は1865年にテネシー州のプラスキーで少数の旧南軍士官を中心に黒人抑圧を目的にして組織されたのが始まりである。その後、この組織はたちまち南部各地に広がり、「大魔法王」を総帥に、州には「大竜」、郡には「大巨人」、地区には「片目の巨人」という無気味な名称の各級指揮官を擁したピラミッド形の「見えない帝国」を打ち建てた。頭からすっぽり三角形の帽子のついた覆面で顔をおおい、幽霊のようなガウンを全身にまとって、深夜、馬にまたがり町や野原を疾走するかれらの白い姿は、迷信的な里人を威圧するために考案された奇妙な装束で、その効果は大きかった。かれらは黒人の家を襲い、解放民局やユニオン・リーグの仕事を妨害し、黒人の投票を暴力的に阻止したばかりか、投票しようとする黒人や、かれらを支持した白人の命さえ平気で奪った。黒人が自己解放のために教育に力を注げば注ぐほど、学校や教師がクランの攻撃目標になった。かれらの暴挙は1870年頃、頂点に達した。<本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』岩波新書 p.135>

活動の停止

 クー=クラックス=クランは1867年にナッシュビルで代表者会議を開いて、下南部同盟将軍のマックスウェル=フォレストをリーダーに選び、「クラン」の憲章を定め、組織を固めて「見えざる帝国」を広げる活動を開始した。彼らがますます暴力に走り、リンチやレイプ、焼き討ちや放火、殺人が広がっていくと、フォレスト将軍はその解散を命じ、連邦政府もついに1872年に解散を命じた。

クー=クラックス=クランの復活

 最初のKKKは1870年と71年に制定されたクラン取締法で消滅した。しかし、1915年、シモンズという教会の牧師が16人の弟子を連れて、ジョージア州アトランタ郊外のストーン=マウンテンに登り、燃え上がる十字架を「見えざる帝国」の啓示として見たと言い出した。その地はクー=クラックス=クランの再生の地とされ、火の十字架をかざすという儀式が採り入れられた。ここにクランは白人の優越と南部の理想主義を擁護する団体として復活し、第一次世界大戦後の1920年代にシモンズは「魔術帝王」と称して組織を拡大させ、黒人やユダヤ人、非プロテスタントに対する陰惨な暴力行為をくり返して恐れられる存在となっていった。1924年には会員数450万を数え、南部から西部にかけて大きな政治勢力となったが、戦時の感情が後退する中でゆっくりと衰退していった。

1920年代の狂気

 第一次世界大戦後のアメリカ合衆国の戦間期である1920年代は、共和党政権の自由放任主義のもと、アメリカ経済は未曾有の繁栄期を迎えた。しかし、大量生産・大量消費の狂乱の時代は同時に禁酒法とギャングの時代でもあり、人種問題というアメリカ社会の病根が最も深くうずいた時代でもあった。この時期のクー=クラックス=クランについて、以下はF.L.アレンの著作『オンリー・イエスタディ』からの引用である。
(引用)もし、白人の少女が黒人から言い寄られたと申し立てると - その訴えが誰にも相手にされぬもので、神経病的な想像から捏造されたものであっても -白衣をまとった一団が黒人を森にさらっていって、コールタールと羽根もしくは鞭で〝学習″(私刑)を行なっただろう。人種にまつわる紛争で、もし白人が黒人の肩をもったとしたら、彼は拉致きれ、殴打されるにちがいない。もし、黒人女性の土地が法外な安値をつけられ、その売却を拒否したとする。が、K・K・K団の団員がこの土地を欲しがっている場合には、彼女はK・K・K団の最後通牒 - 言い値で売るが、追い出されるか - を甘受しなければならない。団員はユダヤ人商人をボイコットし、カソリックの少年たちの雇用を邪魔し、カソリック教徒に家を貸すことを拒否した。五人の男が連れ去られ、針金で縛られて湖水で溺死させられたというルイジアナでの惨劇は、K・K・K団員の仕業にされた。R・A・ハットンは 『カレント・ヒストリー』誌上で、アラバマに起こった一連の陰惨な残虐事件を報告している。「背中の肉がずたずたに切り裂けるまで木の枝で打たれた若者。殴打され放置されて、風雨にさらされたため、肺炎を起こして死んだ黒人女性。離婚をしたために自宅で意識不明になるまで殴打された白人の娘。アメりカ女性と結婚したという理由で、背中がパルプ状にどろどろになるまで鞭打たれた帰化外国人。実際の値段のほんの何分の一かの費用で白人に土地を売るまで鞭打たれた黒人」。このような暴行が行われなかったところでも、人びとは彼らの威嚇におびやかされた。白服の一隊が行進し、火の十字架が丘の向こうに輝くとき、人びとは暗やみのなかで声をひそめていぶかった。「今度は誰を狙っているんだろう」。恐怖と疑惑が家から家へと走った。・・・<F.L.アレン/藤久ミネ訳『オンリー・イエスタディ』1932 ちくま文庫  p.99-100>
 第二次世界大戦後の1960年代に、黒人公民権運動が活発になると、それに対する反動としてクー=クラックス=クランに似せた黒人に対する暴力的な差別と排除が始まった。その様子は映画『ミシシッピ・バーニング』に衝撃的に描かれている。