ジム=クロウ
アメリカで差別された黒人を意味し、また黒人差別にもとづく黒人分離政策や黒人取締法、選挙権の制限などの制度そのものをジム=クロウ法とも言った。
ジム=クロウ Jim Crow というのは、19世紀末から20世紀前半のアメリカの領土拡大の黒人が置かれた差別状況を言う場合に使われる。南北戦争による黒人奴隷制の廃止にもかかわらず、黒人差別が、黒人取締法などによって黒人分離策という形に変えて、長く続いたのである。分離政策によって、学校、交通機関、公園などあらゆる公共施設で、白人用と黒人用が分離され、共用することは許されなかった。例えば、ジム・クロウ・カーといえば、黒人専用車を意味する。このような公然とした差別は、1896年5月18日にアメリカ最高裁判所の判決で、「隔離は差別ではない」、という理屈で合法とされた。
このことばは特に南部を中心に定着していたが、黒人差別に対する長い反対運動の中で、1950年代後半~60年代の公民権運動によって、1964年7月2日に公民権法が成立し、法律上の“ジム=クロウ”は死滅した。
このことばは特に南部を中心に定着していたが、黒人差別に対する長い反対運動の中で、1950年代後半~60年代の公民権運動によって、1964年7月2日に公民権法が成立し、法律上の“ジム=クロウ”は死滅した。
“ジム=クロウ”とは
ジム=クロウとは、はじまりはアメリカのミンストレル(白人が黒人に扮して演じるショー)の祖といわれるトマス・D・ライスが、1830年頃、シンシナティの路上で、ぼろ着姿の黒人の子どもが“おいらの名前はジム・クロウ、まわれ、まわれ、ジム・クロウ、踊りで、はねまわれ”という奇妙な歌を歌いながら飛び回って遊んでいるのを見てさっそく取り入れ、顔を黒く塗った黒人姿で歌い踊ったのが始まりとされている。そこから一般化したこの言葉は、黒人に対する差別と隔離の一切を総称した黒人差別という意味で、広く用いられるようになった。<本田創造『アメリカ黒人の歴史 新版』1998 岩波新書 p.147>