アフシャール朝
1736年にナーディル=シャーが建てた、イランのトルコ系王朝。戦乱が続き、1796年、カージャール朝に滅ぼされた。
18世紀前半のイランでは、サファヴィー朝を滅ぼしたアフガン人の支配も長続きせず、サファヴィー朝の生き残りを奉じたトルコ系カージャール族のナーディル=ハーン=アフシャールが1729年にイスファハーンを奪回した。ナーディルはサファヴィー朝を復興させたがその実権を握り、さらに1736年にシャーを称し、ナーディル=シャーとしてアフシャール朝を開いた。
ナーディル、デリーを略奪く
ナーディルはアフガニスタンを制圧し、さらに1739年にインドのムガル帝国に侵入し、デリーで大略奪を行った。しかしアフシャール朝の治世では戦乱で国土が荒廃し、農民にも重税が課せられたので反発を受け、1747年にナーディルも殺害され戦乱の時代となる。ナーディル死後、戦乱続く
南部の都市シーラーズではキャリーム=ハーン=ザンドが支配権を握ぎり、ナーディルの死後の戦乱を1750年に平定しザンド朝を建てた。また北部のアフガニスタンではアフガン人が自立し、1747年にドゥッラーニー朝を建てる。その後、アフシャール朝はドゥッラーニー朝の実質的な支配を受けながら存続したが、1796年にカージャール朝のアーガー=ムハンマドによって滅ぼされた。